MacBookとOSX。それは新時代の幕開け

ものすごく久しぶりのblogを書いています。

しかも、久しぶりのMacOSX。テンションが上がっています。
このMacBook 12(2015)、いいですね。

bootcampしても普通に使えるし、重い作業は無理だけど軽くてスタミナ長持ち。
実に使いやすい。

こんなNetBookぽいMacBookがどうやらバックオーダー2ヶ月以上の待ち状態で、爆売れしているとのこと。
品薄商売的な感じもするので、ほんとかな?って思うんですけど、使えばわかる、コレ、いいです。

何がいいのか?

(1)価格は高い
(2)割と傷がつく(特に光らなくなったリンゴ)
(3)薄く浅いキーストローク
(4)それほど速さを感じないスピード
(5)USBが1つ、しかも新規格で電源と兼ねている

こんなマシン、どうして売れると思うのか。普通の日本人ならそう思ってしまうのも当たり前なんじゃないかな、と思う。
素直にVAIO PROとか、まぁ、速度求めるならZ、安く行くならAcerとかAsusのPCでもいいんじゃない?
タッチパネルもついてるし。Officeだって割安でつく。

もっというと、SurfacePro3とかでいいじゃん、って思う。
実際に、コレを手にする前にはSurfacePro3のi7を持っていた。

しかし、それを売っぱらって、コレが手元にある。
これが真実であり、Appleのノートの魔力だったりする。

実に長い間の成果だと思う。
まず、MacOS9からNextの技術を取り入れて完全なマルチタスクを手に入れ、その後数年は惨憺たる状態だったが、5色のiMacが忘れ去られるころには安定するOSが手に入った。
また、同時に従来までのカスタマイズがたっぷりで色々できるPCというイメージからシンプルで変なことができないPCというイメージも定着した。

その後、順当に色々な機能を積み重ね、安定して使いやすいアプリが揃う必要最低限の環境がこれを買うと揃うという家庭向けにぴったりのPCになった。
そのころには、iOSとして分離しベースが携帯電話に移った。
そこで、さらに安定する動作を求められるようになり、よりOSとはどうあるべきかが形になった。
そして、その技術がフィードバックされ、MacOSXは本当の意味で使えるOSに成長した。

また、MacOS、とりわけ「Macを使うとソフトがない」という状況も一変してきた。
その立役者はもちろんiPhoneiPadがあり、それらの普及が欠かせないのだが、Appleは地道に色々なことをしてきた。
まず、AppStoreの存在。誰でも気軽に販売できるルートを作った。それまでソフトを販売するということ
には敷居が高く、個人プログラマが販売するのにはどこかしらのソフト集約サイトに置いてホームページとかで宣伝するというスタイルしかなかった。個人の人がその集約サイトに訪れなければ、また、その集約サイトに宣伝されることがなければ埋もれて終わりだった。

今は、AppStoreに置くことで、とりあえずどんな人にも目にとまる場所に提供できるようになった。
また、無料という提供スタイルをはじめに提示、後から課金というスタイルの導入が大きい。
今までの集約サイトだと無料と有料は別ソフトでコントロールされ、別リンクになっていた。
AppStoreで「後から課金」というスタイルが始まると、個人の作品がたくさんの人に目にとまるようになってきた。

加えて、SWIFTという統合的な初めての人にも取っ掛かり的に容易な環境も提供した。
ハード面でも見逃せない進化が起こる。

Retinaの存在。これはMacの歴史の中で一つのターニングポイントではないだろうか。
もちろん、スタートはiPhoneiPadからの派生だが、この奇妙なUIの提供の仕方にポイントがある。
今までのdot by dotの考えかたからの離脱。

MacRetinaのような高解像度なモニタでも、文字やスケーリング解像度として従来のような絶対的な文字の大きさは変わらないんだけど、きめ細かさが変わるんだという奇妙な、でも、ものすごく真っ当な表現手法を取り入れた。
ディスプレイのスケーリングサイズのデフォルトが液晶の解像度とイコールではないこの不思議な表現、これが実に良い。
dotという考えかたでイコールの表現でなくなったことで、紙以上の綺麗さを手に入れつつも、文字の大きさはそのままのため、綺麗な文字で読みやすい、作業しやすい環境を手に入れた。

そして、最後にiOSである普段手にしている端末と同じような外見になるようなフラットデザインで統一し、普段使っている端末との親和性・・・今行っている作業の続きをどっちの端末でもできるようにしたり、AirDropのように難しいことを考えなくても操作法を覚えなくても簡単にファイルのやり取りができるようになった。
煩わしいケーブルの取り回しも、できるだけ排除していった。
今回のMacBook2015のUSB typeCなんかもその一環だろう。

ここに至るまで、非常に長かった。
気がつくと、Windowsの利点はEXCELPowerPointのみになった。
仕事で使う標準アプリだから、外せない。でも、それ以外ならMacでもWindowsでもさほど変わらない。
そんな時代になった。

まだ、最後の課題がある。
イントラネットでのブラウザ制限。IE7-9まででしか動かないという制限だ。
割と大きめの企業に属していると、必ずつきまとう企業内インフラ、そのブラウザベースのクライアント要件。そこには未だInternetExploler(IE)のバージョンが7-9まで、というものがつきまとう。

しかし、この制限はWindows側も首を絞めている。だから、次回のWindows10でもこれを改善する動きとなってきた。
今のWindowsでも32bitのIEと64bitのIEでは若干動きが違う。
開発ベンダーは、2016年になっている段階で色々な対応を迫られるだろう。そしてその時には、もう、MacだのWindowsだのという縛りが消えるのだろう。

MacOSの再起動、ここからが本番。
ようやく今までやってきた流れが大きくまとまろうとしてきている、そんな気がしている。
そして、その門出に出てきたのが、この新しいMacBookだ。

もうパソコンはいらないんじゃ?
という時代に再定義された新しいノート。
画面、キーボード、軽さ、ケーブルレス。
iPadじゃ物足りない人に向けた、ものすごく「一般的な家庭に必要とされる十分なPC」をきっちりまとめあげ、かつ、品の良い美しさを提供する。

スペックを持つことに優越感を見いだす人のためではなく、普段自分の使っている環境に見合うスペックで、持つことの優越感へのシフトを促すPCへの転換。

どこも似たり寄ったり。スペックなんて頭打ち。
時計がいい例。
安くても機能は十分。そこから先は何が求められるかというと「他にはない優越感」「持つこと自体が自分へのご褒美」というキーワード。
そこにいち早く気がついていち早く提供したApple
そして、最も重要なこと、これは「なぜココまで薄くしたのか」に気がつけるかどうか。
推測に過ぎないが、この薄さ=コスト削減だと考えられる。
製造コスト・マテリアルコスト・パーツ設計コスト・バリエーションによるコスト。コネクタ周りのパテント、部品点数抑制。これらを実にうまく抑えている。
低く抑え高く売る。商売の基本にかなっている。その魅力がある商品としての究極が詰まっている。

流石だ。ここまでやられると、日本は、もう追いつけないだろう。

唯一残されているのは、VAIO ZやVAIO CANVASのような特殊ニーズに合わせたPC。
でも、それは、非常に少ないパイでの奪い合いとなるだろう。

もし、まだ到達できていないおのがあるとしたら、それは企業のペーパレス会議を促進できる何かだろう。
A3サイズで紙のように薄く軽く、Retina並みの綺麗さ読みやすさを持ち、かつ、データを持ち歩けないシンクライアント構造なタブレット。かつ、稟議の通しやすい5〜10万程度の端末。

おそらく、最初にサービスも込み(TV会議や遠隔資料閲覧等)で広められたところがコレを握ることができる。大量に売れるPCなんて、こんな特需以外、どこにもない時代に突入したようだ。

あと食い散らかされる場所はどこだろう?
TV?カーナビ?街角や家の中でのインフォメーション?
時計は喰われた。

あと、人が「見ている」ものはなんだろう。
次はそこだ。