病院日和で感じる求めすぎるサービスレベルの麻痺感

お久しぶりです。

正月以来ですかね、更新。

どうしてまた急にここを更新するのかって言うと、実は生まれて初めて外科の手術っていうのを経験して、ベッドの上で腐っているからです(笑)

通常であればこの時期に各地に出向いて散歩して、美味しいものを食べて、バードウォッチングも楽しんで、と、まさにアクティブシーズン。
それを、今年は事もあろうに左足で蹴つまずいて左膝小僧から着地、その際にかばった右の手首の骨も折ったり欠けたりとやってしまい、ロッキングプレートを埋め込む事態に。

膝小僧の方は、下半分がお煎餅のアウトレットのようにバラバラに。
Apple watch S4を買っ2日後に、転倒をすると言うなんともドラマチックな出来事も経験致しました。

ちなみに65歳以下であるわたくしの、Apple Watchの設定では転倒判断がデフォルトでオフになっていまして、緊急画面は出てきませんて、というか、出る前に直ぐに嫁さんにウォッチから電話しましたわ。

何せ自力で立とうにも左膝より下に力が全く入らない上に膝小僧辺りが凹んでる、対角線上にある右手で床を押そうにも力が入らないので自力で起き上がれない、そんな状況でした。
嫁さんの判断で直ぐさま救急車。
もちろん生まれて初めて乗りましたよ。

そんなこんなで入院生活が始まったわけです。
で、既に3週間目に差し掛かるわけで、途中病棟移ったりしながら、看護師さん、男女合わせて30数名を観てて思ったサービスのレベルをメモしておきます。

前提条件:
1、利き手が思うように使えず、ものを掴めない、掴みにくい。
2、足が曲がらないまたは曲がりにくく、更に起き上がりにくいため、左手で視界にないお皿からスプーンで掬って食べる、または、リハビリ中。

確認していった事:
1、来てくれた時、部屋のカーテンをちゃんと締めてくれるか
2、薬や絆創膏、その他包帯など、ナースコールをしない際にお願いした事を次のターンまでに必ずやってくれるか、または相方に引き継がれているか
3、リハビリ中でも、食事のラップを取りますか?と声を掛けてくれたり、剥がしてくれたりするか、気にして声をかけるか。
4、言葉の口調、サデスティックか、赤ちゃん言葉か、優しい大人の感じか
5、医師に伝わるか。痛み止めが切れるし痛いのが変わらないので次の薬が確保してもらえるか、いなか
6、手術前ではトイレに行く際にはナースコールで左足をベッドから降ろしてもらう必要があったんだが、足が床に着くまで持ってて欲しいそうでなく途中で離されると激痛なんです、と伝えた後、次の2度目のナースコールで来てくれた際にそれを覚えているか。

まぁ、共通して日々確認してたのはこんなもんかな、あとは、不安を取り除くのに相手を思うような言動があったかどうかくらいの確認かな。

こういった事を、何人もの人に同じようにお願いし、その反応を見ていくと、本当に人の性格というか、仕事に対する接し方というか、看護のサービスレベルっていうのは一定じゃないな、とつくづく感じます。

大きく分けて、4つに分かれてる感じ。
・ひたむきだが無口タイプ
・少しでも患者にやらせて手抜くタイプ
・明るく元気づけしながらもしっかりなタイプ
・作業扱い、面倒は嫌いとオーラを出すタイプ

ひたむきと、元気タイプは、正直当たり。
これがサービスの頂点にあると思う。
基本、看護は基礎的な事を手を抜かない、患者の今を見逃さず、すっと言葉や手でサポートしてくれる、それができる人とできない人がいると言う現実を受ける側も知っておくべきだと感じてる。

できる人基準で毎日を過ごすと、出来ない人に当たった際に不安と不満が高い確率でアップする。正直、担当です、と、挨拶に来た際に落胆してしまう。
だから、良い人を基準で日々を過ごしてはいけない。
なにせ、良い人は4割程度なのだから。

また、若い人は痩せてる人に、良い人は多い。
歳をとってる方は逆に太めの方の方が良い人が多い。
ヤンキー系の顔だちはサデスティックな口調が多い。顔立ちがロリ系な人は良い人が多い。
男性の看護師は、基本良い人が多く、たまに物忘れが激しい人がいる。
ビジネスでは当たり前のメモを取る、や、記録する、が、身についていない人なんだろうと思う。

女性は、医師への伝達や相方への引き継ぎがスムーズでない人が年齢関係なく多い。
呼ばれた際に交互にやってくる仕組の連絡手段が欠けている、仕組上の欠陥かもしれない。
でも、良い人は、この点もしっかりしている。

ようは、めんどくさがっている面を1つでも持つ人は、大抵1つじゃなく、アレもコレも出来ていない。
この傾向が顕著だ。
お願いした事を次の時に忘れてる人や言葉のケアがない人は、大抵、清拭の際に拭ってくれる箇所も雑で適当。
これは人になんでもやらせようとする人が顕著。例えばそう言う人に限って下の部分は自分でやってもらえず、タオルを渡して「自分でやる方が痒いところに手が届くってよく言われるの」、ハイ、的に言葉巧みにやってくれない。

当然、利き手使えず体もひねられないから、左手の届く範囲までしか拭けない。
そんな姿を見せても見ぬふりをする。

入院にはお金の支払いが絡むので、こう言うのは本当に腹がたつんだが、良いレベルを当たり前と思っちゃいけないんだ、と、思うようにして諦める術がないとやっていけない。

さて、こんな不定期の更新ブログを誰がどこまで見てくれるかは、もうわからない。
でも、見てくれた人は、是非覚えていて欲しいと思う。
看護のサービスを受ける時には、良いレベルを当たり前と思わず、良い人に当たった時は御の字、感謝の心を忘れないで欲しい。
6割は、ちゃんとしてくれないし、女性の2割は不安な患者を工場の豚と同じく見てる。

謹賀新年:平成の終わりにて

新年、明けましておめでとうございます

ここのblogも、古くから続けている割には、最近全く更新しなくなりました。

一応、カメラ系のblogとして、2日おきに更新を、こちらでしています。
近況は、そっちで確認できますので、よろしくお願いいたします。

 → http://xt.blog.jp

最近のTOPICSとしては、FUJIFILMのX-T10からX-T2となって、バードウォッチングにハマってきているところでしょうか。
側で嫁さんが同じFUJIFILMではなく、SONYのα7R3を手にして二人で双眼鏡だけ見るだけではなく、あの鳥さんをキャッチできたとか、カメラでやりながら遊んでいるところでしょうか。

それと色んな勉強のために、iMac5Kが手元にあります。

今年は、1996年からインターネット世界に入り、blogやモバイルアンテナもどきを初めたあの1997年から、もう20年を丸々超えた年となります。
使っている端末も、EPSON 286NOTEfから始まり、、386NOTEA、PowerBookDuo230、PowerBook1400、VAIO 505Z、SR、F、Macbookと色々触って今のメインはiMac5K。
手元の端末もザウルス、CLIE をいくつか、iPhoneは3GからXになり、その間にカメラもコンデジからPENTAX QになりX-T10、今はX-T2、α7R3と、とてもいろんなものに切り替わって、それこそ左右上下前後といろんな製品を手にし、いろんなものを手にして都度考え、イマココにいます。

20年間で得たものは、製品より経験。
電脳オタクと言うより、最後はどれだけ生活を楽しくしてくれるか?って言う実用重視になってきています。遊びもスキーからドライブ、小旅行、バードウォッチと色々変わってきました。

これからどうなりますかね。
昔のように、デジタルガジェットへの関心っていうのは消えていくんだな、と思います。
iPhoneの存在が色んなものを変えた、というのもありますけど、企業が今までの企業で無くなり、色んな方に変化して行くと思います。

気がつくと、子供の頃から変わったものっていっぱいあります。

  • お菓子
  • 近所のお店
  • 身につける装飾品への価値観
  • 乗り物
  • 連絡手段
  • 外観の変化は少ないですけど、着ているものの素材
  • 家の作り方、機能性
  • お金の入手手段

-
子供から、っていうと、だいたい30年ぐらいですか。世界は目まぐるしく変わりました。
たぶん、今後20年で大きく変わって行くのは「目に見える医療体制」「エネルギー周り」「移動手段」でしょうか。

人不足の深刻化で、IT(AIロジックやロボット)も加速するでしょう。
今まで人の数や力技でなんとかしていたところは、一気に変化を求められるでしょう。

特に、体育会系の働き方をしている会社。
「人に何かをやらせ」「それをまとめ上げる器用な人」は、これから機械みたいなものを相手にしなくてはいけません。
単純作業をしていた人はどうなるでしょうか。機械に置き換えられて行くからです。
人にやらせて上がっていった人、は、機械にはコミニュケーションが必要ない、ということに早く気がつく必要があります。
コミニュケーションや「笑い」で上に上がっていった人は、もう、その手法が使えなくなる時代が近くにあることに気がつく必要があります。

知識をベースに、常に効率の良い動きを考えられないTOPや上は、もう要らない時代です。
誰かにやらせて、その力を利用して、立ち回っていた人は、今度は自分がその力や知識を得て自分の意思で世界を回せるようにならなければならいません。

具体的にはなんでしょう?
人に伝える力、まとめ上げたものを提示する力、納得させられる力。

端的な言葉で説明すると、こう。

「何かあったら困るから待機して」なんていう考え方を持つ人は、もう要らない時代です。
「何があっても大丈夫なほど、手を打ってある」と言い切れる人が残れる時代の突入です。

さてはて。

私は、近くに「何かあったら困るから待機して」という人がいて、それに振り回されそうになるのが困っているのです。
私は、何があっても大丈夫なよう、早くから準備して用意し、かつ問題なくなるよう、皆を導き巻き込む派だからです。

不測の事態を怖がって待つほど愚かなことはありません。
だいたい18パターンくらい先読みしておけば、なんとかなります。

みなさんの周りはどうですか。

まぁ、そんな風に、株やFXの動きも詠めるようになれれば、もっと幸せなんですけどねぇ・・・。

未知なる世界

お久しぶりです

と言っても、もうblogの域をとどめていないほどの時間が経った更新です。
1年半くらい放置していましたし・・・。

まぁ、言い訳ではありませんが、写真blog側の方は今でも続いております。


さて、生まれて初めて、インフルエンザにかかりました。つい4日前のことです。
いや、正直きついてですね、これ。
ずっと床に伏せていながら、考えていました。これまでの色々なこと。

1996年ごろ、もう今となっては20年も前になります。その頃にNIFTYから飛び出て夢を描いてHTMLを解析しながら厳選モバイルリンクを作っていたのを思い出します。
あの頃はMacintoshEPSONのノートなんかで楽しんでいた時代です。その頃はWEBSTARやらでWebSiteを立ち上げたい!とか、今となっては皆無の価値観になった「HomePage」を作りたいっていう気持ちがありました。
cgiやらapatchによるWEBサイトの作り方、IISでのサーバーサイドイクルードの使い方、JSP、色んなことを覚えていきました。
気がつくと、2000年がやってきて、FLASHサイト全盛になってきて、Windows2000というのが出てきてMacOS漢字TALK時代)より安定するようになってきて・・・。
その頃作っていたスキン「DeltSeven」という透明な石の調子デザイン、XPでも使われ始めMacOSXの「透明石ボタン」全盛の時代に突入していきましたっけ。
その後、XPはVistaやme、7/8と経て、Windows10へ、MacOSXは数々のバグを乗り越えてMacOS SierraiOSへ、どんどんと変わっていきましたよね。企業のセキュリティ対策も強化され見直され、会社に自分のPCは繋げられなくなり、データの持ち帰りやUSBによる持ち込みにもNOのサインが突きつけられるようになりました。
その流れとともに、アプリの見直しや開発体制の見直しも迫られつつ、労働環境まで政府が厳しく通達するようになってきました。


・・・何が言いたいかのというと、気がつくと、パソコンがいらない時代になっちゃいましたね。
20年前は、パソコンてすげぇ、色んなことができるよ、世界変わるよ!ってワクワクしててのーとPCすげぇよ、こんなに軽くて色んなこと出来るよ、っていう時代全盛から20年でパソコンがいらない世界になるなんて、思いもしなかったというか。
昔に、こんなザウルス欲しいよ、っていう絵を描いて20年しないうちに、そんなの古臭い、みたいになるまでこんな短い間にそうなってしまうとは思いもしませんでした。

これから時代は何か。
そのために必要なこと、それは「知識」をどう取得し、「何の知識」を取得するか。
これが重要な意味を持つ時代に入ってしまったようです。

今は「ググれば」なんでもわかる時代。逆にいうとつまらんことに記憶領域を使う必要がない時代です。
自分の頭の中の記憶容量が10TBくらいが限界だとすれば、その10TBに何を残すか。これを意識しないと流されて終わってしまう時代になりそうです。
振り回されるのはごめん。荒波の中に放り出されて、目的地もわからず転覆しそうになりながらも岸についた、でもその先は・・・
みたいな展開だけにはなりたくありません。
荒波をコケながらもサーフィンし、せめて見える向こう岸の良さそうな場所にたどり着きたいです。

だからこそ、何が必要なのか。

海の話が出たので、同じように考えてみましょう。荒波の中、向こう岸を見据えるには何が必要か。
「不安定ながらも起立し少しでも高い視点を確保できる環境」が真っ先に必要ですよね。
その環境は「一枚の板」から成り立っていますね。
「できるだけ晴れた視界を遠くまで見える目で」捉える必要がありますね。
もちろん、そこに行くまでの「体力」と「勘」も必要です。
その方向に向かうには「梶」も必要ですよね。

「板(基盤)」「視界・眼」「体力」「勘」「方向に押し出す梶」、これらを手にすれば自らの意思でたどり着きたい岸に着くことはできそうですよね。
デジタル世界のこれら5つってなんでしょうかね。

私が思うに基盤は「文字」だと思っています。どんなに時が流れても文字は当面消えなく、デジタルの世界の中心にいて、自分を起立させることができる唯一無二の存在じゃないかと思います。
方向に押し出す梶は、その文字を発信するかしないか、こう考えます。流されるか自分の意思で漕ぐか、その違いは発信と似ています。

じゃぁ、あとは目と体力と勘ですが・・・
体力は続けること。眼は自分の定めた方向性。

何を言いたいかと言いいますと、ようはですね、最終的に「辞めない人が向こう岸へ」着けるのではないかと思うのです。

なんとか思考だの、フレームワークだの、流行りだのそうでなかろうの、形にハマろうがハマらなかろうが、その文体が拙かろうが分かりやすかろうがなんでもいいだと思います。

辞めないこと。続けること。
何年かおきに一度でもいい。

見えにくい岸に向かっていって自分の思うことを発信し続け、信じて突き進んだ人は、飲まれずに大局的に物事を見ることができ、次の20年先まで意思を持って歩めるのではないかと思います。

そんな気持ちがあるので、駄文が続くかもしれませんが、ボヤキ続けると思います。
今は、過去の変動のPC世界の15年を封印し、変動のカメラ世界の15年を追っています。カメラ世界も5年が経ちました。
ちょうどXPが出たあたりです。カメラ世界はこれから複眼のスマフォと老舗の一眼の戦いが始まります。
成熟しきったが、手間暇育てて衣を剥がせぬ一眼の世界 V.S. 奇抜な改変のデジタル処理。

音楽もピアノ作曲からデジタル音の重ね技で変革し、印刷も一枚一枚フィルム重ねて版を作る処理からデジタルパブリッシュでプリンターみたいに間のフィルムが無くなっちゃいました。
年賀状だって一枚一枚プリントごっこしてたのが、今やLINEに代わり紙を使わなくなり始めています。
ビデオもそう。スマフォで撮ったそのままがYoutubeにアップされTVより効果が高くなり始めています。

得てして手間暇かかるもの、めんどくさいもの、工程数が多いものはデジタルに取って代わられます。
1つ1つ職人の手で作り上げるのは素晴らしいけど、それは時代のニーズに合っていないのです。

あと、今現在で手間が多いのなんですか。

車のナビもそうですね。他は?
料理もそうですね。他は?
病院の手続きもそうですね。会計は既に自動化されつつありますよね。
似たようなのにスーパーのレジ打ち会計もそうですが、半自動化進んでますよね。他は?
本を探す行為?そうですね、既にamazonに代わってきていますよね。他は?

今、世の中では、この「他は?」探しに躍起になっています。
これがビジネスチャンスだからです。
結果私たちの世の中は便利に楽になっていきます。

気がつかないと、あなたのやっている仕事量はゼロになります。
ゼロになっっとき、応用が効かなければ、無用となります。

荒波で立つことすらできなくならないよう、やはり、視界を高く保つべきです。
頑張るという言葉は嫌いです。
何をどうするのかが明確でない。

でも、不特定多数へのメッセージなら使えそうです。
お互いの明日のために頑張りましょう。

Apple pencil が塗り替える世界、終わりの始まり

こんにちわ


またしばらくぶりにblogを書いています。

前回、macbook12(2015)のお話をしましたが、その時に感じていた続きになります。



前回の話の中では、下記の事項を記載しました。

    1. USB typeCは電源から何からを1つの規格にまとめる素晴らしく強引なアイデア
    2. iOSという形でアプリが醸成する環境を手に入れたがMacOSXに仕組みをうまくコピーしたことで「Macにはソフトが無い」を解決した
    3. Retinaの存在が紙の要らない世界を塗り替えるキッカケとなりうる
    4. Windowsのソフト的な存在理由がEXCELPowerPointと一部のニッチ自由だけになりつつある
    5. その中の一部のほとんどを占めるのがキャンバスに対して何かする、というアクション

    さて、皆様ご周知のとおり、この10月にiPadProなるものが登場してきます。その中でも革命的な商品「Apple Pencil」が今回一番着目すべきポイントではないでしょうか。

    使用イメージの画像を拝借

    単純に普通に思いつくアイデアを洗練して魅力的な商品にする、というヒト時代前の日本の製品の作り方のような形で出してきているこの商品、実は結構ポイントが高いと思っており、これ1本で世界を変える可能性があります。

    先ほど、Windowsに残された「キャンバス」に関係する世界、これを「iOSというアプリの安い環境で構築するシステム」がiPadPro+ApplePncilです。

    つまり、もうIllustratorPhotoShopPainterも要らないのです。

    絵を描くのにWacomタブレットも必要ありません。本当の意味で紙のようにデジタルデータを取り扱え、高くても数千円のアプリを買うだけで「キャンバスに対して何かする」というシステムが手に入ります。10万そこらで。

    Wacomタブレットでこの大きさのものを購入し、ソフトを購入し、PCやモニタを揃える、またはSurfaceを手に入れる、そんな必要はありません。これは革命です。

    しかも最後に出力されるデータはTIFFだったりPDFなわけですから、DTP(印刷)の類との相性も良い。これは凄まじい革命です。
    残されたニッチな分野まで奪いに来ています。

    後は・・・、PowerPointも使えるんですよね?だったらWindowsEXCELと基幹系または勘定系のイントラシステム周りを仕事で使うだけのマシンになってもらいましょう。

    おそらくこのiPadPro+ApplePencilの登場は、一般の人の「絵」または「CAD」に関連するクリエイティブ活動を刺激し、興味を持つ人の裾野を広げ、それは例えばコミケを刺激したり、3Dプリンタを刺激したり、さらには写真をアートで触ることや絵をそのもの書いたり刺繍の下絵を描いたり、といった色々なキャンバス関連の世界に浸透し、塗り替えていくでしょう。
    そういう意味で、もしかしたら、もう MacOSXって要らなくなるのかもしれません。Windowsも要らない、つまりもうパソコンなんてのも要らない、そんな世界はすぐそこです。

    数年後、私たちの周りはどうなっちゃうんでしょうね。

    MacBookとOSX。それは新時代の幕開け

    ものすごく久しぶりのblogを書いています。

    しかも、久しぶりのMacOSX。テンションが上がっています。
    このMacBook 12(2015)、いいですね。

    bootcampしても普通に使えるし、重い作業は無理だけど軽くてスタミナ長持ち。
    実に使いやすい。

    こんなNetBookぽいMacBookがどうやらバックオーダー2ヶ月以上の待ち状態で、爆売れしているとのこと。
    品薄商売的な感じもするので、ほんとかな?って思うんですけど、使えばわかる、コレ、いいです。

    何がいいのか?

    (1)価格は高い
    (2)割と傷がつく(特に光らなくなったリンゴ)
    (3)薄く浅いキーストローク
    (4)それほど速さを感じないスピード
    (5)USBが1つ、しかも新規格で電源と兼ねている

    こんなマシン、どうして売れると思うのか。普通の日本人ならそう思ってしまうのも当たり前なんじゃないかな、と思う。
    素直にVAIO PROとか、まぁ、速度求めるならZ、安く行くならAcerとかAsusのPCでもいいんじゃない?
    タッチパネルもついてるし。Officeだって割安でつく。

    もっというと、SurfacePro3とかでいいじゃん、って思う。
    実際に、コレを手にする前にはSurfacePro3のi7を持っていた。

    しかし、それを売っぱらって、コレが手元にある。
    これが真実であり、Appleのノートの魔力だったりする。

    実に長い間の成果だと思う。
    まず、MacOS9からNextの技術を取り入れて完全なマルチタスクを手に入れ、その後数年は惨憺たる状態だったが、5色のiMacが忘れ去られるころには安定するOSが手に入った。
    また、同時に従来までのカスタマイズがたっぷりで色々できるPCというイメージからシンプルで変なことができないPCというイメージも定着した。

    その後、順当に色々な機能を積み重ね、安定して使いやすいアプリが揃う必要最低限の環境がこれを買うと揃うという家庭向けにぴったりのPCになった。
    そのころには、iOSとして分離しベースが携帯電話に移った。
    そこで、さらに安定する動作を求められるようになり、よりOSとはどうあるべきかが形になった。
    そして、その技術がフィードバックされ、MacOSXは本当の意味で使えるOSに成長した。

    また、MacOS、とりわけ「Macを使うとソフトがない」という状況も一変してきた。
    その立役者はもちろんiPhoneiPadがあり、それらの普及が欠かせないのだが、Appleは地道に色々なことをしてきた。
    まず、AppStoreの存在。誰でも気軽に販売できるルートを作った。それまでソフトを販売するということ
    には敷居が高く、個人プログラマが販売するのにはどこかしらのソフト集約サイトに置いてホームページとかで宣伝するというスタイルしかなかった。個人の人がその集約サイトに訪れなければ、また、その集約サイトに宣伝されることがなければ埋もれて終わりだった。

    今は、AppStoreに置くことで、とりあえずどんな人にも目にとまる場所に提供できるようになった。
    また、無料という提供スタイルをはじめに提示、後から課金というスタイルの導入が大きい。
    今までの集約サイトだと無料と有料は別ソフトでコントロールされ、別リンクになっていた。
    AppStoreで「後から課金」というスタイルが始まると、個人の作品がたくさんの人に目にとまるようになってきた。

    加えて、SWIFTという統合的な初めての人にも取っ掛かり的に容易な環境も提供した。
    ハード面でも見逃せない進化が起こる。

    Retinaの存在。これはMacの歴史の中で一つのターニングポイントではないだろうか。
    もちろん、スタートはiPhoneiPadからの派生だが、この奇妙なUIの提供の仕方にポイントがある。
    今までのdot by dotの考えかたからの離脱。

    MacRetinaのような高解像度なモニタでも、文字やスケーリング解像度として従来のような絶対的な文字の大きさは変わらないんだけど、きめ細かさが変わるんだという奇妙な、でも、ものすごく真っ当な表現手法を取り入れた。
    ディスプレイのスケーリングサイズのデフォルトが液晶の解像度とイコールではないこの不思議な表現、これが実に良い。
    dotという考えかたでイコールの表現でなくなったことで、紙以上の綺麗さを手に入れつつも、文字の大きさはそのままのため、綺麗な文字で読みやすい、作業しやすい環境を手に入れた。

    そして、最後にiOSである普段手にしている端末と同じような外見になるようなフラットデザインで統一し、普段使っている端末との親和性・・・今行っている作業の続きをどっちの端末でもできるようにしたり、AirDropのように難しいことを考えなくても操作法を覚えなくても簡単にファイルのやり取りができるようになった。
    煩わしいケーブルの取り回しも、できるだけ排除していった。
    今回のMacBook2015のUSB typeCなんかもその一環だろう。

    ここに至るまで、非常に長かった。
    気がつくと、Windowsの利点はEXCELPowerPointのみになった。
    仕事で使う標準アプリだから、外せない。でも、それ以外ならMacでもWindowsでもさほど変わらない。
    そんな時代になった。

    まだ、最後の課題がある。
    イントラネットでのブラウザ制限。IE7-9まででしか動かないという制限だ。
    割と大きめの企業に属していると、必ずつきまとう企業内インフラ、そのブラウザベースのクライアント要件。そこには未だInternetExploler(IE)のバージョンが7-9まで、というものがつきまとう。

    しかし、この制限はWindows側も首を絞めている。だから、次回のWindows10でもこれを改善する動きとなってきた。
    今のWindowsでも32bitのIEと64bitのIEでは若干動きが違う。
    開発ベンダーは、2016年になっている段階で色々な対応を迫られるだろう。そしてその時には、もう、MacだのWindowsだのという縛りが消えるのだろう。

    MacOSの再起動、ここからが本番。
    ようやく今までやってきた流れが大きくまとまろうとしてきている、そんな気がしている。
    そして、その門出に出てきたのが、この新しいMacBookだ。

    もうパソコンはいらないんじゃ?
    という時代に再定義された新しいノート。
    画面、キーボード、軽さ、ケーブルレス。
    iPadじゃ物足りない人に向けた、ものすごく「一般的な家庭に必要とされる十分なPC」をきっちりまとめあげ、かつ、品の良い美しさを提供する。

    スペックを持つことに優越感を見いだす人のためではなく、普段自分の使っている環境に見合うスペックで、持つことの優越感へのシフトを促すPCへの転換。

    どこも似たり寄ったり。スペックなんて頭打ち。
    時計がいい例。
    安くても機能は十分。そこから先は何が求められるかというと「他にはない優越感」「持つこと自体が自分へのご褒美」というキーワード。
    そこにいち早く気がついていち早く提供したApple
    そして、最も重要なこと、これは「なぜココまで薄くしたのか」に気がつけるかどうか。
    推測に過ぎないが、この薄さ=コスト削減だと考えられる。
    製造コスト・マテリアルコスト・パーツ設計コスト・バリエーションによるコスト。コネクタ周りのパテント、部品点数抑制。これらを実にうまく抑えている。
    低く抑え高く売る。商売の基本にかなっている。その魅力がある商品としての究極が詰まっている。

    流石だ。ここまでやられると、日本は、もう追いつけないだろう。

    唯一残されているのは、VAIO ZやVAIO CANVASのような特殊ニーズに合わせたPC。
    でも、それは、非常に少ないパイでの奪い合いとなるだろう。

    もし、まだ到達できていないおのがあるとしたら、それは企業のペーパレス会議を促進できる何かだろう。
    A3サイズで紙のように薄く軽く、Retina並みの綺麗さ読みやすさを持ち、かつ、データを持ち歩けないシンクライアント構造なタブレット。かつ、稟議の通しやすい5〜10万程度の端末。

    おそらく、最初にサービスも込み(TV会議や遠隔資料閲覧等)で広められたところがコレを握ることができる。大量に売れるPCなんて、こんな特需以外、どこにもない時代に突入したようだ。

    あと食い散らかされる場所はどこだろう?
    TV?カーナビ?街角や家の中でのインフォメーション?
    時計は喰われた。

    あと、人が「見ている」ものはなんだろう。
    次はそこだ。

    再生と最新

    こんにちわ。

    コッチのblogはずいぶんと間が空くようになってしまいました。

    さて、今、WINDOWSが熱いですね。
    Surface Pro3。これはいろんな意味ですごいことになってきています。

    まず、Microsoftが直々に本気のタブレットを作ってきたってこと。
    得意分野であり、自分のOSが一番必要とされるビジネスユーザーの気持を真摯に受け止めて本当の意味での使える機種を作ったって言うことはものすごく意味があると思います。

    ICONIAやVAIO Duoなんかには任せておけない、そんなに意気込みを感じます。

    また、今後の製品の最低ラインを押し上げる意味も含めて本気でテコ入れしたい、今の状況を何とかしたいという気持が見えてきています。
    こういうの、好きだな。

    でも、日本の企業は、というよりネットワーク管理者は冷たいです。
    マネジメントソフトのアップデートにお金をかけたくない。
    タッチなんてサポートするのめんどくさい。
    自由に持ち運ばれると面倒、基幹システムの検証がめんどくさい。
    そんな気持でいっぱいなんじゃないでしょうか。

    ウチの会社の担当もWin9まで新しいのは入れない、みたいなことを話してました。鬼が笑うような話です。
    そこまで技術革新の波を受け入れないつもりですか、あなたは、って感じ。

    そう、Surface3によって、ようやく日本の停滞していたPCの業界は動き出します。
    iPhoneiPadでイイじゃん的なムードでパソコンそのものの需要は一時停滞してきていました。

    でも、ビジネスの現場では、やっぱりExcelPowerPointが必要で、私自身も不可欠な仕事をしています。
    会社の中の見る端末はiPadとかが浸透してきていますが、結局作るのはWindowsが必要なんですよね。
    しかも作る側は膨大な裏付け資料を用意して、タブレットで見るための簡素な資料を作るという前よりも手が抜けない状態になってきていたりします。

    そんな時、作る側もタブレットで見れる、という環境もあり、最後はiPadではなくSurfaceのような変換も何もいらない端末になってくれるとどんなに嬉しいことか。だから 本当はiPad ではなくSurfaceで広まって欲しい気持ちが根底にあるはずなんです。

    基幹システムだって、そのWindowsがそのまま端末で動けるマシンで使えればいいわけで、上層から現場まで同じ環境で統一もできので本当はそうしたかったはずです。

    そういう意味で、ipadなどに頼らないで構築できる、本当の意味での使えるWindowsタブレットっていうのはイノベーションを起こす力があります。

    誰もが使いやすく、でも既存の知恵や経験を活かせる、そんな世界が近くにあります。
    そういったものが近くに迫ってきているのに日本の管理者は二の足を踏んでいるんです。この間iPadiPhoneに対応したと思ったら、今度は本家か、みたいな感じでめんどくさがっています。

    気持はわかります。でも、ここでついて行けるかどうかが企業の分かれ目でしょう。古臭いままの仕組みを今一新出来ないと、その会社はずっとレガシーなものを引きずり時代について行けないでしょう。



    ***

    さて、もうすぐソニーから切り離れたVAIOが一つの会社になって登場します。
    それはつまりVAIOそのものが、SONYから親離れすると同時にMicrosoftSurfaceと競い合うということも意味します。
    キバを向いて欲しいな、イイよな、手にして見たいよな、と思うものが出てきて欲しいです。
    そうこないと、VAIOも地に落ちたな、という印象に繋がってしまいます。

    幸いなことに、Surface Pro3はWindows7 へのダウングレードが出来ないモデルとして生まれてきました。
    新生VAIOが今の企業の二の足を踏んでWin7で続けたいと思っている管理者にも喜ばれる仕様の新機種を出してきたら、Surface3のように新しい時代の一端を担えるものがWin7対応でバリエーションをもって登場したら、今度は企業へのVAIOブームが来るやもしれません。

    コンシューマーへのアピールより、本来強いBの分野でのWindowsを強化していくことが大切です。

    このままでは、開発の敷居が高い、と思われていたMacOSXiPhoneと同じソフトを同時に作れるSWIFTという新しい時代のBASICとなりうる開発言語環境を作り出したきている脅威に負けてしまうからです。

    作りやすくて売りやすくて開発環境を用意に構築できる方向に誰もがシフトしたいと思うのが当然です。
    MacOSX環境は使いやすくても「ソフトがない」というデメリットを抱えていました。
    iPhoneというソフトを作れば儲かるという市場が出来てしまった今、作っても売れないWindowsソフトよりも手を出したい開発はたくさんいるはずです。

    Windows陣営側がビジネスに強い今のウチに新しいタブレット時代の地位もビジネス分野だけにおいてもそのシェアを維持出来ないと、結局ビジネスでもMacOSXにしちゃえばイイじゃん的な方向になりかねません。

    頭を柔らかく、上層部はiPadでも会議はSurfaceでも、文字を書いたり営業はMacBookAirであっても、財務的な部署はEXCELであっても、経営企画や商品企画はPowerPointであっても、印刷広報はMacOSXベースのPDFやIllustratorの資料であっても、とにかく分け隔てなく管理でき、MacもWinもどっちも統括できる企業に育っていかないと・・・そう対応できる頭の柔らかい管理者チームが育たないと、これからの企業のITは一変しそうです。
    つまり、出遅れるかそうでないかで物凄い差ができそうです。

    同じ時間、これからオリンピックまでの数年、簡単で効率の良い新しい仕組みで過ごした数年、コリコリに硬い古い時代遅れで効率の悪いやり方で進んだ数年、時間があればあるほどその差は離れていくでしょう。
    Googleを大人になってしった世代がGoogleを物心着いた時から使って社会人となった人の差は大きいです。

    古い人は、自分の脳にストレージがあります。例えて言うならBlueRayが記憶媒体で、そのBlueRayを何枚も(人の量で)カバーして知識を膨らませます。

    新しい時代の人たちの記憶媒体クラウド上にある大型施設の大容量でTBというサイズさえもわからないほど大きな無限ストレージが「共有」されている状態で既にあります。

    いつもBlurRayの中にある知識で考えていた人とは発想も物の見方も違いますし、溜め込むことが頭が良い、ではなく、点在する情報を如何に結び付けられるか、が頭の良い時代に変わります。

    そういう人たちを受け入れられる土壌、これからはそういう人たちが会社の中心になる、ということを今の日本の管理者が理解しなければなりません。

    Win8.1が基幹システムで動くか動かないかなんて狭い範囲での判断や考えに縛られていると、新しい人たちはそんな基幹システム要らないじゃん、他に似たようなことができるものあるし、っていう的な発想の人達に「システム不要、その管理者も不要」という判断を下されるかもしれません。

    私達は、そろそろ、凝り固まった規定概念を捨て、古いシステムの縛りも捨て、中庸の世界から親離れしなければならない時期に来ているのかもしれません。

    そうなりましょう。

    日本の技術はスゴい

    こんにちわ

    また時間があきました。
    まぁ、http://pentaxq.ldblog.jp/lite/ にて、カメラBlogを毎日更新していたってのもあります。


    ところで、そのカメラなんですけど、日本て恐ろしい。
    PentaxQシリーズの最高点であるQ7ってやつが7月に登場して、最小のミラーレス一眼の座を確保、これは楽しいなって思っていたのですが、そのころ他のメーカーはやれフルサイズ一眼レフだの、やれm4/3のミラーレスで高機能(しかし重い)だの、と今までの「本格的なカメラ」路線を突っ走っていたわけです。

    どっちかっていうと、Pentax Qのような「コンパクトデジカメをレンズ交換式にしちゃおう」的な発想は置き去りのように感じられるほどの「本格的なカメラがいいんだぜ」路線でした。

    この秋のラインナップをみてみると、これが全て覆されていくようなイメージになっています。









    SONY α7といい、Panasonic GM1といい、噂のオリンパスStylus1、それから前から発表済の富士の防水版XM-1、Nikon1と、気がつけばフルサイズなセンサーのミラーレス一眼(それもコンパクト)な製品がずらり。

    フルサイズのα7なんか、ついにここまできたか!っていう感じだし、m4/3のレンズは大きいから無理だろうって思ってたけど無理矢理な感じで各社が作ってきましたね。

    しかも、PentaxQで実現出来ていない「チルトできる液晶」「WiFi連携」を実現しているものが多くあります。中にはQシリーズのお家芸であった「世界最小」まで奪われてたり、PENTAXお家芸である「防塵防滴」ライクな商品まであります。

    まぁ、そりゃぁ、コンパクトデジカメの終焉がスマフォの登場でやって来てしまいましたからね、その矛先が変わっても仕方ないのでしょう。ましてそこにQシリーズという人気のあるものが独走していたわけだし。

    でも、なんというか、Qの最高点である私のQ7が出て、その後たった3ヶ月で「Q7」のほとんどを奪われてしまった(笑)
    奪われていないのはカラーオーダーと気持ちよく遊べる操作感です。

    カラーオーダーもマグネシウムボディで出せよ、みたいな声が強く出ていたり・・・。いや、私はプラで軽くていいと思っていますけどね、今時のカメラは数年で買い替えですから、色が選べる方が楽しいですし。
    そういう意味で、新製品がどんどんでても、PENTAXの操作感の方が一番自分に合っているって体で覚えちゃったので当面このままだと思います。

    でも、フルサイズのミラーレスが出始めてくるとなると、ちょっと話は変わってきますね。
    そもそも私の中では「レンズは資産」という想いが強くあります。

    どこのメーカーのマウントを揃えていくか、っていうのが交換式レンズを保有していく際に一番キーとなっていくと思っています。買いやすさ種類の豊富さでいうとキヤノンNIKON、そのへんになってくるのではないかと思うんですけど、個人的には古い時代のKマウントが世界規模で転がっているので好きなんですよね(M42も含め)。

    まぁ、昔、初めてフィルム時代に手を出したレンズがKマウントなPENTAX Z1だったっていうのもあります。
    そのときのキットレンズはカメラもろとも残っていませんが、でも、なんというかKマウントは好きなんですよね。
    そこに橋渡しのあるQマウント、この2路線が一番ベストだと思っていました。いままでは。


    ところがですよ。
    フルサイズのミラーレス一眼の登場で、それが一変してしまうと感じています。

    現在、PENTAX Q用に出ている色んなメーカー向けのレンズマウント変換アダプターは、数多い状態。つまり、ミラーレス一眼はそのフランジバック(センサーとレンズの距離)の短さが相まって、色んなメーカーのレンズを装着しやすいカメラだったりします。
    もちろん格好はよろしくなく一体感は消えます。けれど、どのメーカーのレンズも扱えるっていうのは非常に大きいんです。
    昔のツァイスの フレクトゴンも使える。ライカのレンズも使える。キヤノンのレンズも使える、もちろんペンタのLimitedレンズや★レンズも使える、これって素晴らしいことで、フィルム時代何十年も前のレンズが選びたい放題で使えるようになるって素晴らしいことだと思います。

    今まではセンサーサイズも小さかったので何付けても「望遠」扱いになってしまう枷がありました。
    Q7を使っていて、哀しいのはそのフルサイズ用の昔のレンズを使うと焦点距離が4.6倍の望遠レンズ扱いになってしまう部分でした。
    しかし、フルサイズ=35mm版のフィルム時代と同じサイズっていうセンサーともなれば、この難点が消えます。
    そうなると、まさにレンズは資産、しかもフィルム時代には実現出来なかった「マウンタの垣根を越えて使える」時代の到来です(100%は無理でしょうけど)。

    この遊びも出来るPENTAX Qであり、コンパクトでいつも持ち歩けて軽く使いやすいっていうのがウリだったのですが、望遠の問題が消え、フルサイズなミラーレスが登場となると、もうQの使いやすい意外のアイデンティティを奪われちゃった感じがあります(笑)

    レンズ内手ぶれ機能を有する他のメーカーと違い、カメラボディ内で手ぶれ機能を持つ方針のPENTAXでは、今のコンパクトな形状の路線のままではフルサイズセンサーを積みつつ、チルト液晶も搭載して今のQのサイズと同じっていうのは、もう無理なんじゃないでしょうか。
    小さくすることにはSONYに勝てないと思うんです。
    今のQシリーズのレンズを拡充するかどうかも良くわからない今の姿勢のままでは、正直牙城が危ういです。

    そしたら、Qのレンズを増やすのはすっぱり諦めて、新しくKマウントでQのようなフルサイズミラーレス一眼を「作り直し」したらどうでしょうか。

    Kマウントが使える新しいQXシリーズとかいうのを作ってみたらどうかな?って思います。Qマウントレンズはアダプタでも使えますよ、でもメインはKマウントですよ、みたいな感じで。

    一回り大きくなってしまいますけど軽くてグリップ時の持ちやすさがあれば、それでいいと思います。アダプタでQレンズ付ければ「そんなには変わらない大きさ」みたいな感じで。
    もちろんチルト液晶とかはあると便利です。でも、しょせん3インチのモニタなので小さく、マニュアルになってしまう古い時代のレンズを使う際には役に立ちません。だからそれで大きくなるくらいならやらないで、スパットWi-Fiで飛ばしてスマフォやタブレットでピント合わせやシャッターが切れる高機能リモコンでなんとかする路線で割り切っていいと思います。

    オートなレンズは気持ちよく本体で、マニュアルはスマフォで、みたいな感じでいいんじゃないでしょうか。

    いろんなメーカーが小さくて高機能を押し出して出して来たとしても、最後は①レンズ資産②使い勝って③色・デザイン④軽さ、この4つに集約しちゃうと思っています。
    もちろん、大きな本格的な一眼レフは別です。あくまでもミラーレス一眼の世界だけでの話です。
    でもこのうち、③デザインや色、④軽さってのは、どんどん変わっていくでしょうから、PENTAXさんには、ずっと①と②を忘れないで頑張っていってもらいたいものです。

    正直、私は20代のときにフィルムカメラの重さに負けた人間なので、今後もミラーレスで軽量なものしか見向きしないでしょう。K3いいなと思っても、やっぱりレンズ数本持ち歩くこと考えたら厳しい。

    だから、こそ、「負けた」と思わず、頑張って欲しいと思っています。
    フィルム時代のレンズはいいものたくさん。確かにリコーになるまで色んな会社を渡っていったPENTAXだと思います。
    でも、そのフィルム時代で一番Kマウントに着目していたのもリコーだったと思っています。
    だからこそ、リコーが出す 「ナノ一眼ミラーレス」は、Kマウント資産を活かせる形であるべきだと思います。

    って、期待し過ぎですかね。