密かに始まるAppleの革新
実に1年ぶりになってしまった。
1年前に手足の手術をして、実はまだリハビリが終わらす、右手は完全に握ることがままならない。
そんな中、気が付くと始まっているiPadOS、PhotoShopやIllustratorの対応。
もちろん、マウスへの対応も含めAppleはiPadを基本デバイスの1つとして、いや、もしかしたら今後の主軸として置き換えていく検討をしているかもしれない。
考えてみると、開発環境はあれど、使うアプリは数少なく、「ユーザーがパソコンに求めるアプリ」はMacOSでは、と言うより、Windowsも含めて、もう少ななってしまっており、あってもコアなソフトで高価なものばかり、と言うイメージになってしまった。
使いたい機能に釣り合ったコストで配信されている「iPad」や「iPhone」向けのアプリは無数といってもよく、もう実績がたくさんあるの日も関わらず、だ。
気がつくと、パソコンは要らないものになっているばかりか、触ったことのない学生が就職しだす時代になってしまった。
1996年からblogみたいなものでつぷやき続けてはいるが、よもやこんな時代になるとは。
Appleの話にフォーカスすると、たぶん、本当は MacOSとiOSを共存、ないしはMacOSでiOSを内包できるような方向での模索をしていたのではないかと思うのだ。
しかしながら、iPadOSが出たということは、内包をあきらめて、主軸OSをiOSベースで新しく構築しはじめたのだと想像する。
将来的には、iPadに開発に向いたキーボードを取り付け、ないしはKickStarterで始まっているようなiPadをMacBookのようにカッコよくバックライト付のキーボードを付けてくるようなオプションでnote化してしまう戦略を行うかもしれない。
というのも、来年より発売されるSurfaceXProや新しい2画面のSurfaceは、実はAppleが昔コンセプトビデオを出した時点で世間に訴えた、実現しなければいけないApple製品の未来そのもの。
それを先にMicrosoftが実現してしまう、というのは黙ってみていられないはずだからである。
iPadOSは、一見するとiOSの別バージョンのように思えるが、今後の構想次第では長く続いていた「MacOS」そのものを排除してしまうためのOSかもしれない。
今の時点では、まだ早いだろう。だが、3年後はわからない。
現在、最新のMacOSをiMacで触っているが、正直、数年前と比べて、ダークモード以外何が良くなったのかわからない。
いや、正確には「iOSライクになってきていて、iOSで出来る当たり前が実装されているくらいで、当たり前が当たり前になっただけにしか感じない」のだ。
革新的にスゲエ良くなった、が、個人的な意見ではあるが、本当に感じないのだ。
MacOSのハードを使う利点はなんだろうか。
MacBookProに代表される特殊なタッチバーなどのサポートだろうか。
ハイパワーなPhotoShopの処理だろうか。
一度に20ファイルを開いて作業するような大容量メモリが必要な何かか。
iMacではApplePencilも使えないままだ。私にとってはタッチバーはApplePencilよりも魅力が無く、使いたくもない機能だ。
むしろSurfaceDialの方が使いたいと感じる魅力がある。
動画編集は、iMacのFinalcutよりiPadの方が楽ちんなんじゃないだろうか?
なんだか、今のAppleは、よくわからない。
正直、Surfaceの方が役に立っているという点では、かなり進んでしまっている。
OneNoteによる情報管理。
そして、ビジネスで役に立つSurface上のWhiteBoardのアプリ。
これら2つとペンの組み合わせは、協調作業やアイデアの共有にもってこいの仕組みになってしまった。
iPadでも使えれば、というくらいになっている。
手元のtabletの「白紙」に書いた内容は、簡単に他の人のtablet(surface)に共有され、かつSurfaceHubという大画面のモニタにも映し出される。
しかも、それは場所の制限をしない。
AppleはiOSを作り出して、とても便利な世の中を作った。
それは紛れもない事実。
しかし、最近は進化が少ないと思う。
深化も少ない。
世の中には、まだまだ「デジタル化」したいものがたくさん溢れている。
例えば、町内会の掲示板。
デジタルデバイドとして分離された方々が、日々利用している「紙」媒体で生活の一部になっているいくつか。
役所への申請もそう。
申込書もそう。地域交流のイベントの参加可否も、いまだに紙面ベースで出欠を取っている。
家のポストに刺さりっぱなしの回覧版。
ちょっと旅行で家を留守にしていると、逆に「留守であることを示す」アイテムになってしまい、セキュリティの不安を抱えてしまう。
そういう時代になっているにもかかわらず、回覧板は近所からポスティングされてしまう。
内容を見れば「子供たちの・・・イベント実施、参加の方は・・・」という内容だったりする。
うちの周りに小さな子供がいる家はかなり少数。
こんな情報のために、うちは泥棒にサインを送ってしまうのだ。なんともやりきれない。
まだまだデジタル化と時代に合せなければいけない世の中が多い。
日本のメーカーは何をやっているのだろう。
ソーシャルなNPO団体は増え続けているが「どこに」自分が有益な団体が存在していて「どうアプローチすれば」いいのかわからない世界だってある。
市政のホームページを見にっても情報が多すぎて良くわからなかったりする。
そんな状態でデジタルデバイドな人たちは、世の中をどうみているのだろうか。
情報過多で諦めているのがほとんどではないだろうか。
まだまだ見つめれば変えられる仕組みは世の中にたくさんある。
今後のAppleや、日本のメーカーはどう動くのだろうか。
箱ものだけを売って儲かる時代は、もう終わりを告げている。
共有を盛んに行える仕組が、今の時代に求められている。
iTunesによる情報統制、アプリストアによる簡便な購入、エコシステムでの安価なつながり。
日本の「詰め込み」ソフト販売は、これに対抗できず廃れてしまった。
それは時代のニーズを3年先を見越して詠まなかったからではないだろうか。
リスク回避で失敗を恐れたからではないだろうか。アイデアを出してくれた人の意図を汲み取れない人任せの役職の無能化ではないだろうか。
今の若者は、知識が長けている。
知識が共有化されている。
ティール組織化へと向う今の社会組織、新しい時代のためのiPadOSは、Surfaceに立ち向かえるのだろうか。
Apple製品の中だけでの情報共有化だけで良いのだろうか。
今はMicrosoftの方が、よっぽど世界を見つめている。
でも、心配はしていない。
来年である2020年は、令和の情報革新が起こる年だろう。
久々に、わくわくする世界がやってきそうだ。