サラリメディアと、こってりブロガー

最近はいろんなものが見えるようになってきましたよね。

 既存メディア衰退の原因

がイイコト書いてます。

NEWSのカテゴリは、本来「サラリ」と新しい情報を冷静な立場で客観的な記述と立場で書き込まれるべきものです。
NEWSという単語の通り、別に掘り下げて情報を出す必要もないですし、そこから更に興味を引けそうな話題があれば「出版」または「コラム」として書けばいいだけです。

うちの嫁さんなんかは出版物大好き娘な育ちでして、小さい頃から本をひたすら読んで育ってきました。
だから、読み書きも得意です。漢字も多く知っていますし雑学も素晴らしいレベルです。

それに対して、私は、いつのころからか、本をホトンド読まなくなりました。
いつの頃からか・・・

 「出版」または「コラム」は書いた人の単なる主張である

と考えるようになってしまったからです。まぁ、これって完璧な偏見ですが(笑)

でも、小説とか空想話は別として結局そうじゃないですか?

「〜新聞」の記事とかコラムとかも、今ではどうか判りませんが「受験のために必須」とか「社会人面接に必須」とか言われてた時期があると思うのですが、そのコラムは常に公正な立場で書かれているなんてとうてい思えません。

でも、皆がこぞって その「理論や主張」を受け入れ、

 (1)それが一般的な考えなのだ
 (2)そう思うのが見識者の頭脳なのだ(そんな人に倣いたい)

となっている世の中にウンザリ、と、そう思う自分は嫌だ、という考えを持つようになったのです。

だから、それを考え始めた頃から、

「情報は自分の意識で取りに行く」
「投資をせずに確かめられる手段を持っているなら自分で調べる」

というアクションが自分の主体に変りました。
そう、それが「インストール馬鹿」になった所以です。

その自分に気がついてから、無駄に活字を読んで時間を潰す新聞も取らないし、本屋で情報誌(コンピュータ系のも含む)をむやみに買わなくなりました。
立ち読みでサラっと見て、自分で家でゆっくりみたい情報があるな、と思ったものしか購入しなくなったのです。

思えば、きっかけは NIFTY-Serve を利用したパソコン通信を始めた 19才ぐらいのころからかもしれません。
気がつくと、もう20年ぐらい前のことなんですよ。300や1200bpsの通信モデムカセットをMSXに装着して電話機に繋いでアクセスしていた時期を思い出します。

ちなみに300〜4800bpsぐらいまでは、スクロールされる画面をそのまま見て情報が理解できました。それぐらい文字が流れる速度が遅かったのです。
9600bpsぐらいの速度になってからは、欲しい情報を取得して、ゆっくりログ見る、というスタンスに変りました。
それは、10MBpsという今の1000倍以上の速度になった今でも同じスタンスのままです。
はてなアンテナ」に基本的な所を登録し、ざっくり情報をみて、後は気になったものを検索やらリンク先、2chなどで情報を詳しく掘り下げる、というスタンスです。


だから、その頃から、

「こってりした(欲しい)情報は自分の目で見て自分で探す」
「情報にはお金がかかる」
「サラリと見て、ゆっくり確認する」

を意識してきました。
美術館とかでも同じかな?私は美術館とかいくと、1つ1つゆっくり見ません。まずはサラ〜っと最後まで通して、後で気になったものをじっくり鑑賞、って感じです(余談)。


さて、情報にはお金。これは今の日本のメディアで非常に浮き彫りになっています。

ただし、昔とは違って、「情報はお金を得るために流す」のみが浮き彫りになっています。これはとても哀しいことです。

たぶん、昔は「情報によってお金がもたらされる」だけでなく「欲しい情報はお金を払ってでももらいたい」というもう一つの「お金」に関る事象があったと思うのですが、インターネットが普及することによって、

「情報料金=通信キャリアに払うもの」

になってしまいました。
例えばiPhoneの月額料金が高い、家の光回線の月額料金と併せてナンボ・・・ってなっていると思います。

毎月新聞を契約して雑誌を買い込んでもカバーできない程の「情報料金」を払っているような気がします。

ただし、発信する側が格安になりました。おかげで僅かな人の僅かな意見ではなく、同じ事柄の様々な意見を取得できるようになり、カオス的ではあるものの数多くサンプルを見ることで統計的に「真実はこうなのかも知れない」というものに近づくことができるようになりました。

そう考えていくと、既に「報道メディア」のチカラは存在していないことが逆に読み取れてきます。

今の時代、インフラを抑えているキャリアが一番強いのです。
でも、インフラは絶えずメインテナンスやステップアップが必要な業界なので、得るものが大きいけれどサボっていてもお金がドンドン入ってくるような楽が出来る業界ではありません。



そんな世の中、気がつくと、

・商品を売るために情報をばらまく  (→キャリアに収入、消費者に知識蓄積)
・消費者は働き商品を協力して売る  (→消費者に収入、メーカーに消費対象物蓄積)
・消費者がばらまかれた知識を元に消費(→メーカーに収入、消費者に収入)

の連鎖構造が小学生でも気がつく時代になってきています。
これってば、本当にスゴイ!!

そして、その「目的のために」情報をばらいている社会、手段のために「報道メディア」や「出版物」が使われていることにも、子供たちは気がついてきています。

昔の子供は「外で何も考えずに遊んでいた」ので、気がつきにくかったわけです。
が、やれ塾で勉強だの、やれ宿題だの、やれ「家でゲーム」だの、とオトナ顔負けの情報収集力とゲームという「世の中の構図シミュレーション」を小さいうちに与えてしまったことで、逆に今の世の中、「小さい頃に何もしてこなかった大人のほうが情報を収集できない」時代に突入しています。

こういった背景のため、若ければ若いほど、世の中を知っていて考える力も見極める力もある、という逆転現象が起きていることに、実は世の中の高齢者は気がついていません。

そりゃ、高齢者は昔から「遣われる人」「雇われる人」が大半で情報収集の力が無い方が権力者にとって都合が良かったので、遠まわしに「報道メディア・出版物による洗脳」が良く効いていたと思います。

今は、子供たちが自分の目で自分の手で知りたい情報を取りに行ける時代です。

「おばあちゃんの知恵」ですら、インターネットを利用して取得でき、しかもそれは1人の知恵ではありません。

インターネットが身近にあった世代は、既に昭和の世代とは根本的に思想が違います。

そんな人たちに、従来のままのやり方で「お金のための報道」を続ければ、当然見放されても当たり前じゃないでしょうか。
また、そんな人たちに巧みに誤魔化そうと努力したカラクリを持った著作権ビジネスを行えば見破られるのが当然じゃないでしょうか。

平成世代と昭和世代では、元になる考え方が違うということに、どれだけ気がつくことができるか?
が、これからの良い昭和世代の大人になれる気がしています。

と、まぁ、ちょっとこんなボヤキまで放ってしまうのは、最近のdocomoの携帯機種情報を乱発して取り上げている某IT系メディア(笑)の記事の多さにゲンナリしていたところに、例のCNETの活字内容を見たからなんですよね・・・。

ちょっと、docomoの記事、多すぎません?ウザイんですけど(^^;

で、課題は、「新聞のブランドを使いながら、読者が自分でニュースを選び、好きな方法で配信してもらえるようにする」という最後の一言に、あぁ、この人は今の世代を良く解っている人なんだな、って思ったんですよ。

・・・私たち大人も、無知を認識して、賢くならなければ成りませんね。