Vistaへの期待

PalmOS2006-03-06

今年のPC業界は久しぶりにエキサイティングだ。Windowsの大型アップデート、IntelのCoreDuo、そして、Ultra Mobile PC(UMPC)。
実に豊かだ。
正直、私はMacOSからWindowsに移った理由がいくつかあった。

(1)安定性。
当時Windows2000とMacOS9.xの間では、システム面での安定性に非常に差があった。Windows98と比較したらMacOS9の方が上であったが、Windows98と比較するのはMacOS7.1〜7.6あたりまでなので、そういう比較はしない。
どう考えても、2000と9.xの比較はWindowsに分があった。
さらに、MacOS Xがまったくもって使い物にならなかった上にソフトを全部買いなおさなければならない不安があったのに対し、Windowsは普通にNT版を用意すれば動くという安心感があった。

(2)テーマデザイン
WindowsXPは、2000年4月まで開発を続けていたMacOS用KaleidoScopeのDeltaSevenというスキームのテーマにクリソツ、というか、あの頃のメールがもう無いので夢だったかどうか思い出せないのだが、Windowsでこのテーマを使ってもいいか?みたいなメールが英語できたような気がしないでも。そんときFreeなんで好きに使ってくれと返事したような・・・。
もう、夢だったのかほんとだったのか、あの頃のメールが行方不明なので確認もできない。
残念だ。証拠があれば夢落ちではなくトリビアネタになるのだが(笑)
まぁ、昔の画像やログも今手元にないが、MOとか探せばあるだろうから、Backupから引っ張り出してTreasure-Waysのサイトに戻しておくかな。
・・・そのうちなつかしページ、昔のログ復活として。

でも、まぁ、そのデザインぽいXPのテーマのおかげで、自分の「こういう感じの画面でPC作業したい」が実現できたWindowsXPは十分自分的には納得で気に入ってる。

(3)重さ
あの重くてでかかったPowerBookシリーズ、そこから開放してくれたVAIOという存在は私の中で結構大きかった。いまでこそ、typeFなので重さにはあまりこだわらなかったが、当時自分で自分の使いたいPCで仕事ができなかったこともあり、家と会社の往復の持ち運びは重要なポイントだった。

(4)ViViとWXG
私にとって、これが最後の分かれ目だった。文章を素早く各ツール、この存在にUNIXのエディタViの操作はとても重要なポイントだった。それをWindows上で実現してくれていたのが、ViVi。
hjklで動かせるカーソル、タッチパッドをほとんど触らずにすべての操作が可能、簡単に正規表現で検索置換が可能、どれを取ってもUNIXの味を知った私のモバイルに最適だった。
また、WXの@から続くユーザー単語の登録やキーカスタマイズは非常に重要だった。CTRL+UIOPの古きATOKキーバインドでかつ変換キーと無変換キーの有効活用、SHIFT+SPCAEで半角スペースの挿入、これらも重要な役目を果たしていた。
今でも、XPに入れて無理やり使っていたりする。特にローマ字カスタマイズなんかは「@kk」と入れると(株)の1文字のやつが瞬時に変換されたりと便利だったりする。

(5)メールとインターネットの快適さ
当時MacOSでどうにもならなかったのが、メールとインターネットの快適さだった。メーラーMUSASHIを購入することでフィルタやルール、カスタマイズ性能〜自由度から快適になったが、インターネット閲覧はどうにもならなかった。
そりゃOSに組み込まれてればすぐにアクセスしてすぐに取得できる。ソフトを立ち上げる必要もない。これは便利で素早いはずだ。


以上、私がどうしても、今なおMacOSの世界に戻れなかった理由だったりする。
この中で、昔に比べて1も2も3も5も、今のMacOS Xで実現されている。4もViがあるおかげでそれほど苦ではない。
今ならMacOSに戻れる。

でも、今の私は、そういうのよりも、違うところに興味が行っている。

UMPC・・・PDAみたいなサイズの普通のPCだ。

かねてより小さい持ち歩き用のPCが欲しかった。
その願望はCLIEに行き着いた。
結果、なかなかいいデバイスだったし、現に今もUX50を使っている。

でも、これではPhotoShopをちょいちょいっと動かしたり、気になるページをひょいっと見に行ったり、PowerPointの資料を作成したり、Viエディタで文字を書いたり、ということが「だましだまし」でしか使えないのだ。

そろそろ、できるんじゃないかと思う。そろそろ、そういう時代になってきたのではないかと思う。
OSの動作とソフトの稼働なんて、10GBの記憶メディア空間と256MBあればなんとかなる。できれば512MBになると嬉しいが。
10GBってのは、iPodNano2.5個分である。ざっくり10万としよう。メモリが512MBで1万としよう。小型液晶が5万としよう。
マザー関連ボードとバッテリとキーボードを引っくるめて8万ぐらいとしよう。全部でいくらだ?
10+1+5+8=27万。

ざっくり適当に考えただけでも、30万以下になるじゃないか。昔EPSONのノートパソコン386noteAを買ったときと同じぐらいの金額じゃないか。
あのころ、EPSON286NOTEfという素晴らしいコンセプトのノートPCがあった。
DOSFlashメモリから起動。PCカードからも起動可能。アプリもカードで提供(挿すだけで使える)。
これが私のノートPCの世界に引きずり込んだ名機だ。デザイン、機能、軽さ、外で見ても使える液晶、拡張性。すべての原点があそこにある。

書換可能なメモリにOSとソフトをいれ、もっと特別に使いたいソフトはカードに入れる(地図とか)。
自分で作った書類はSDカードに保存できればいい。SDカードだって2GBとかのクラスになれば自分の保存する書類はそれで十分だ。
もちろん、落とした時などのロック機構も重要になるが、HDDレスで普通のPCを作ることは、すでに夢でなくなっている。
駆動部分がなく、たとえば液晶も電子ペーパーのように書き換える時だけ電気を使う仕組みのものが発達していけば、それこそ、PCのバッテリ寿命はCLIE並になる。
私は、それこそ、UMPCの行き着く先だと考えている。やがてこの筐体がA4やB5サイズになれば、もっと薄く軽いノートPCが誕生する。
ウルトラマンPCみたいなサイズで速度や機能に妥協が無いPCがもうすぐ、そこに。

そこで今度のWindowsVistaの情報を見ていると、

「なんということでしょう(笑:BeforAfter風)」

手書き認識機能が標準(パッケージのグレードによるが)で装備されているでは無いか。
今年の後半から来年にかけて、とてもエキサイティングになる。
そして、Appleは、きっとNewtonの技術をApple版のUMPCに盛り込んで登場させるのではないか。
そうなったとき、MacOS Xの本当の価値がでてくるのではないか。そんなワクワク感が最近蘇ってきている。

どちらにせよ、IntelCoreDuoでLOOXPクラスのサイズで軽くて手書き+キーボードで瞬時に起動、こうなれば世の中がもう一つ変わってきそうだ。
どちらにせよ、VAIOCLIEな機械、iPodMacOSでNewtonぽい機械、そういうのが目前に来ている。

今のパソコンメーカーは、そこまで夢を描き、楽しんで開発をしているのかな?

MacOSでもWinでも、どうでもいい。ようは楽しく便利に使いたい。そういうUMPCの世界を、ぜひ作り上げて欲しい。
また、そうであって欲しい。
ただ、まず真っ先に実現してくれそうな、Vistaには個人的に非常に気になっている。
UMPCがあれば、電車で色々遊べる日も来るかもしれない。そして、それはもうすぐそこなんだ・・・。

ということで、ひさしぶりのボヤき。
別にこの日記に意味はあんまりない(笑)