一眠りします

随分と久しぶりの書き込みだったりする。が、これが今年最後の書き込みになるかもしれない。

この間、色々考えていました。

とりあえず、予告通り、Treasure-Waysは第3期瞑想時期に入ります。ご了承のほど。

また、iambic(Agendus用)とsonystyle(CLIE Organizer用)以外を経由するアイコン関連販売・素材提供なども終了です。

去年ぐらいから思っていたんですが、blogというカルチャーが広まった時点で、個々にあったホームページは死にました。
それまで、ホームページで情報を発信していた人は、すくなからず「誰かの役に立ってもらえれば」という意味合いがあって、それが連鎖するように情報が共有・並列化され、「インターネットを探せば何か見つかる」へと通じていました。

blogという形で、写真や意見が簡単に、そして誰の発言ともリンクでき、そのコメントにコメントが付く。
このシステムは理想であると同時に、手軽すぎるため、「真の情報をまとめる」必要がなくなりました。

Aのドラヤキが美味しいよ、Bのドラヤキが美味しいよ、Aのダンゴがおいしいよ、Cのダンゴが美味しいよ、Bの餡こがおいしいよ、Aのお菓子がおいしいよ、Aの焼き菓子はあまり美味しく無いな。

という情報が錯乱した中で、もう、客観的にケチの無いBの店を皆が選ぶのは明らか。つまり情報の多数決です。

個々のホームページを立ち上げた人々の、特にコアだった人たちは、Aのドラヤキがどこにこだわっていて、何故好きか。
Bはどこどこにあって、買いやすいから好き、という付加情報と更につっこんだプラスαを加えて発信していたと思うのです。


今のblogは、そこまで突っ込んでいる人たちもいるんだけど、大半は「情報の速さ」と「書きての感想」でできています。
だから、正直沢山の情報を読んでいても実態が見えて来ないことが多い。

これは、実は新聞を毎朝読むのに近い。
皆新聞を読んでも、その記者が伝えたいと思う意図よりも見出しや出来事を覚えているだけで中身に何が書いてあったかなんて3日もすれば忘れてしまう。

必要なのはキーワードのみ。
なんでもそう。世の中キーワードでモノを探せる人が勝ち。
テストもそう。キーワードに紐づいて覚えていける人が勝ち。

結果的に、blogもそうで、必要なキーワードさえhitして、最後にその見たいと思った部分が探せればOK。

新聞よりはPCでポンっと叩けば出てくるだけに使える時代になりましたね。
blogを見て回り、掲示板のたぐいをクロールすれば、世の中が見えてくる。その事象に対してどういう人がどういう思いを抱くか多面的に見ることができる。
新聞のように一主観で押しつけられることもない、と思うが、実は多数決の情報で最後はインプットされている。

VAIOEthic、cybalion、事実上とまっている山本先生のHP、まぁ、ほとんどが「情報を伝えなくても何とかなる世界になった」と判断しているから、自分の時間やお金を割く必要が無くなったのではないだろうか。
または、割いてまで自分で情報を出さなくても、誰かが気楽に書いてくれるから、それを集めれば同じことになるだろう、と。

そして、マスメディアが「我先に」と一二を争って製品が世の中に出る前から、もしくは出たその日から大量の情報を出す。
掲示板には意見が書きこまれる。
読み手は情報の多数決で知らず知らず方向性を受取る。

なんだろ、この図式。
何かに支配されているような錯覚に捕われる。
危険な気がする。

だから、しばらく時間を置きたくなった。
今、素直に世の中にある情報を鵜呑みにして、それを発信することも批判することも怖くなった。

だから、一眠りすることにする。
その何かに支配されている感じが無くなるまで。


最近、時々思い出すのは、小さい頃、ガンプラを買うために店に通ったな、買うまでも買って作っている時も作り終えた時も楽しかったな、と。作る最中も失敗したり折れたり、同じものを勝手違うものにしたりと楽しかったな、と。
欲しいものが買えないから違うものを買って、でもその違うものをヒントに欲しいものをさらにいじって自分だけのものにしたり・・・。

竹で竹とんぼやペーパーナイフを作って遊んだな。出来た後もペーパーナイフのように利用できたな。
それを作るために色んな資料や色んなモノを作ったな。自分でTryして、何個も作ったな。

ブロックでもそうだったな。遊んで遊んで、色んなモノをつくったり、色を揃えたり、自分で作ったものを飾ったりブロック以外のモノを組み合わせて形にしたり、思い出したようにバラバラにして似たような改良版を作ったり。



でも、今の製品は、そういうこと、できないな。

PCにしても出来合いのパーツを取り替えるだけ。子供のおもちゃも出来合いのパーツを取り替えるだけ。携帯にしても中途半端な機能があちこちのメーカでシェアされているだけで、あれもこれもなんて選べない。

自由なオリジナルはできなくなったな。


なんだろ。いつから、出来合いのものが楽しくなったんだろう。
いつから、出来合いのものでも良くなっちゃったんだろう。
嫌、本当は、まだ満足できなくて、自分で作りたいのに、自分では手が届かないから諦めるしかなくなった、と考え始めたから楽しく無くなったんだな、ということに気がついた。


最近、とある人が、メーカーを見守る側からメーカーで作る側になった。

そこに入社する前に悩んでいる時から彼を見た。
彼は不安そうで、でも夢にも溢れていた。

で、彼は全てを断ち切って自分の思いを貫く方に決断をした。
とても素晴らしく、うらやましかった。

今、そんな彼だけでなく、メーカーで作る色んな人に伝えたい。


中途半端な未完成な製品は要らないので、今思っている夢を自分で補完できる「新」製品がほしい。

携帯で言うと、DocomoPanasonic(P)は頑張ってるね。
携帯で「自分化」の意味が重要だと認識して、頑張ってそれを保持しようとしてる。
光るジャケットを中心に。今度の902iも面白く光るらしい。でも、その影で、昔のユーザーがつぎ込んだカスジャケがゴミになっていることには目をつぶっている。

新しくなった時、昔を切り捨てるのは重要だけど、数年先ぐらいは見据えて欲しい。

VAIOは、どうなった?

昔は小さいから良かったのか。
バッテリが持ったからよかったのか?
デザインが洗練されていたからよかったのか。
キーボードの感触が良かったからなのか。
デザインが奇麗なカーブを描いていたから良かったのか。

違うと思う。

VAIOは、実はソフトと一緒に歩んでた。
CLIEも、実はソフトと一緒に歩んでた。

VAIOの起動音が電話音とシンクロしている。T後藤さんの気持ちもあった。
typeFは久々にデザインと素材と機能がバランス取れた製品だった。
色がグレーなのが気に入らないけど、末長く使える設計だった。素材も塗りのようだったけど、練り込みぽいので剥げそうにないし。
まぁ、ラッチが折れるのは耐久テスト不足だったけどね・・・。
でも、SRXも当時ヒンジバタンというデメリットを抱えていた。それを直したら最強になって今でも使える。



粗削りだけど、これがしたい、これで遊んでみたい。これをこうするにはこういうソフトを組み合わせて・・・


ハードだけになったVAIOには興味が無くなった・・・んじゃないのかな?
CLIEVAIOPSX


何かを作って提供する、見せるって、実は大変なこと。
でも、その絵の位置や色や配置場所の効果についてケチをつけたり数時間もこだわることよりも、もっと大切なことに他を使えればいいね。
どうせ3日もすれば違うアイデアで違う見せ方にした方が、って思うんでしょ。
んじゃぁ、粗削りなままソフトを公開してもいいから、皆の意見に傾けて、既存ユーザーだけでなく色んな人に提供しようよ。
下手な縛り無しに。

そして、 時間と人を大切にしましょう。
開発者が自殺する現場なんて、だめ。
当然、追い込み時期は必要だと思うけど、休暇や外の世界を見ることも、新しいアイデアには絶対に必要なこと。
新しいことをするためには、休まなければ、いいものが産まれない。


そういうことって、上が理解しないと、絶対に変わらない。

私は、今回、このホームページで自分を出すことに疲れたのではなく、ネタが尽きたわけでもなく、答えは一つ。
今、自分が自分のために使った時間を他の人が参考にできるように形を作らなくても、誰かが同じことをしていて、同じ結果が得られる。
なら、今は休む時だ、と。
そして、 また、PCが進みまくって、時代が変わって、自分化が必要になった時、お会いできれば、と思っています。

ということで、Treasure-Waysは、しばらくお休み致します。
1996年からスタートして、今まで色んな事があって、色んな事に色んな人からご協力いただきました。
残念ながら、ここのダイアリーに残した日記以外のログ、全て削除致しました。

そして、本当にありがとうございました。

また、気が向いた時にぽっこり出てきますので、今後も御贔屓にしてください。
その時も、メーカーにゴマするわけでもなく、「それはなぜ?これはなぜ?」を何度も頭で唱えて、自分が便利と感じられるものを探していきたいと思います。

#今後の時代でも、「興味」が自分化ら消えたら哀しいので、忘れないように維持していきます。

では、また。
(最後までデスマス調の統一を取らないで残します^^;)