どうも、私を含めて、日本人てのは適材適所な使い方が苦手らしい。そして、もの事に飽きやすい。

例えば、今まで便利と思っていたものでも新しいのが出ると目移りする。いいや、それだけでなく、手に入れたがる。

この行動は、大体2つのパターンで動いているようで、

  1. みんなが持っているから「仲間意識を得るために」自分も持つ。
  2. みんなが持っていないもので、目を向けていない希少価値のものを手に入れるために自分は持つ。


このパターンなんだが、どうも日本人は(1)の考えで物を持つことが多いようだ。私が物心付いてから、30年あまりの月日は経っているが、経営者は(2)を、そうでない側の人は(1)を持つことが多いような気がする。



人と同じ物を持ちたくない=自己の確立であり、「優位性」をもつことであるから、それを「ビジネスチャンス」と考えるパターンなのだろうか。逆に「和」を大切にする経営者で無い人は「仲間意識を崇拝」するのであろうか。

はっきりしたことは言えない。ただ、私はこの考え方にこそ、「日本人は飽きやすい」の精神が宿っている気がする。

こんなことはないだろうか。「新しい携帯を手に入れて、初めのうちは良かったけど、そのうちみんな持っているから面白くないので買い換えた」とか「あの人が持っている携帯が良かったのでお揃いにした」という話し。




例えば、カップルのペアもの。これはその人とできるだけ仲間意識を高め、共通の何かで結ばれているような錯覚に自ら捕われたいと思う表れであり、そこには「内容なんて、どうでもよい」という世界も見え隠れしている。

逆に、「他でもっていないもの」を追い求める人は「内容」を重視している。内容を知り、自分にとって何が必要で何が必要ないのか、それを見極め、いつも自問自答している人、そういうことではないだろうか。

私は、実に、上記のように思ったのだ。今の携帯、満足している。機能的には問題なく、強いて言えば「送信メールにBOXフィルタをかけられない」ことが不満、ぐらいで使用上問題ない。しかし、あんまり好きではないタレントが同じものを持っていたり、ちまたで自分の好みでない風体の同性が同じものを持っていたりすると、もう、買い換えたくてたまらない状況になっていた。

そんなおり、もうすぐ発表される「SO505i」という携帯電話のニュース(まだ噂だが)を聞いたとき、もう居ても立ってもいられなくなった。頭の中では、既に買うことを決めていたりする。



企業の側から見ると、これは非常に利用できることになる。つまり、奇抜なアイデアや新機能を盛り込んだ製品を出す場合、人より先がけて欲しがる人に訴えればいい。逆に安定したスタンダードなマシンを売り込むためには「仲間意識」を核にすればいい。

ただ、仲間意識はどうやって作るか、というところがある。輸入モデルなんてのは非常に簡単にコミュニティが出来て、「あのサイトのあの人が持っていて楽しそう」なんて聴けば、実はそれほど魅力の無い製品でも買ってみたくなるということもあるだろう。

しかし、国内で簡単に手に入れることができ、その中で仲間意識を得るにはどうすれば良いのか。


ひと時代前の発想は、

  1. 有名人を使って売り込む(もしくは、さも使っていそうなことをアピールする)
  2. 安さで広く売ってしまい、市場を取ったもの勝ち
  3. 大きな企業に無理やりねじ込んで、「会社と同じものが良い」的に潜在的に訴える


とでも、しただろう。つい最近まではインターネットによる個人の口コミという話しも使えたが、ここのところは「個人が特定の人すぎて本当かどうか信用できない」というところも出はじめている。その個人がイコールマスコミに関ったりメーカーから特別に目をかけられて情報をもらえるような人だったりするからだ。



一種のカオス的な考え方で捉えられれば、渦巻く情報の中である程度の流れが見え、これは「作られたもの」「これは自然なもの」・・・だろう、的な道筋が見え隠れする。しかし、それは困難なことだ。普通の情報収集では出来ない。頭の中で情報の統計をとれる人でないと駄目なのだ。


さて、1月の中盤から、3月までは、例年では新機種のラッシュだ。例えば、VAIOシリーズなどもそうだ。正直、SRXの後継も気になるし、携帯の新機種も出はじめるだろう。とりわけ、近いうちにCLIEの新機種も出そうだ。噂もかなりあがっている。私はNXでかなり満足しているので、CLIEに関してはMEMORY STICK Pro待ちのところで、あんまり欲しいと思っていない。

私にとって、NX70は、非常にバランスが良く自分の環境に適した機種だ。ただし、改善して欲しい点は幾らでもある。例えばシャッターボタンとレンズの位置や回転方向は逆のほうがいいし、キーボードの大きさや配列・数値キーが無いことなども不満だ。バッテリーも着脱式にして欲しいし、表面は革の加工などで持ちやすい&リッチな感じにして欲しいとも思う。ソフトの内容も今ひとつ納得いっていない。



SONYというメーカーは、昔から自分たちのイメージを大衆に押しつけるイメージがある。新機能に偏ればマニアが飛びつき、「みんな(実はマニア)がやってることをあなたでも便利にスマートに」と訴えかけているときもある。

本当は、SONYこそ、やって欲しいものがある。それは、「あなたの望む CLIE or VAIO コンテスト」だ。それも中途半端な「夢」程度ではなく、ハード面部門とソフト面部門の両方に鋭く「実に現実味のあるもの」を求むものだ。とうぜん、今のテクノロジー+αで実現が可能な夢も必要だし、今の技術を使いやすくする知恵も欲しい。


そのコンテストは・・・イコール・・・今まさにユーザーが欲しいと思うCLIEVAIOをアンケートすることでもあり、全てのシリーズの高速版を出した後の「次」へのステップに繋がるはずだと思う。

また、限界を感じはじめたPCなどの業界を更に活気づけるいいチャンスになるのではないかとも思う。



なぜ、それがSONYでなければいけないか。他のメーカーでもいいが、SONYでなければ「突拍子もないアイデア」や「技術的困難の克服」をしてくれないだろう、そう思えるからで、そう皆が思っているうちにすべきなのだ。




昔から、学校では「飛び出すものを引っ込める」教育をしている。しかしどうだろう、美術や技術の先生もそうだっただろうか。私が知るかぎり、技術や美術のような先生は「飛び出したものを伸ばしたいと思う教育」をしていたと思う。

問題は、そのセンスが無い担任に当たるか当たらないか、だけだった。右へならえ。回れ右。「なぜ皆が揃って行動しなければいけないのか」という問いを考え持つ生徒も、その理由を説明する先生も少なかった。

質問ばかりする人は、周りから「からかい」の目で見られがちだった。また、そういう人を「変わっている」というカテゴリで括りたがるような雰囲気もあった。

「和」と「中庸」の違いが、今の世界にある。この二つは、なんだろう。人の可能性を邪魔するものなのだろうか。私は、気持ちよさを味わえるのが「和」で、自己を無くすのが「中庸」だと思っている。

あなたの周りにあるデジタルグッズ。それがあることによって、あなたには何が起こっているのだろうか。人に見せるためか、人と同じものを持ちたいためか、自分を助けるためか、自分を訴えるためか。

色々考えると、夜も眠れない。あぁ、今日も変なボヤキだ・・・。

もちろん、ここに書いていることは、ボヤきなので、この話の結論はない(苦笑)

結論はあなたの中で作って欲しい。