最近色々な会社さんに行って、色んな事を知るようになりました。特に思うのは、「技術は人のためならず」というか、本当の意味とは違って、マジに「役に立ってない」ことが多いんだなぁ、ということです。



特に、ソリューションという魔法の言葉。たしかに便利になっている一方で管理者のほうとしては負担が増えているようです。ビジネスのフローとしての役割は大きく、ソリューションによって解決している様々な問題は多いのですが、実際には「使いにくい」という意見が多いのです。

「ビジネスの悩みを解決する」=「ソリューション」≠「便利」という図式の形が多いようで、なんとも素人目には理解しがたいのです。


最近新しいソリューションを導入した会社の人に「新しいことができるようになったけど使いにくい」と言われました。で、色々と話をすると細かい部分の調整は後で、という話をされつつ契約しお金も支払ったのですが、実際に細かい部分のインターフェースなどを調整するには別途金額が・・・、といわれたらしく、かなり苦しんでいるようです。



また、別件でWEBのデザイン会社の社長さんともお話しする機会があったんですが、「開発側」はかなり酷いようで、「経営者は利益」「プログラミングなどの技術者は新しいことがやれるか」に偏った思考をしているらしく、特にお客の要望を聞いて受注でプログラミングすることについては経営者も技術者も面白みを感じていないということなんだそうです。



なるほど、と、思い出し、相談されたそのソリューションの中身を見ると、やれ新しい言語(これから主流だ!と言われているらしい)だの、今までにない技術と表現だ、だのと色々と力説している様はまさにそれでして、なるほど、と思うわけです。



また、数日前にフリーのライターの人とも話す機会がありまして、新しい言語や技術がどんどんと出てきてソリューションとして企業に入っているけど、当の使う側の意見は別にそんなことはどうでもよくて「使いやすくしたいだけ」なのに経営者同士の思惑で色んな事が決まり、現場の人間は結構困ってたりするんだけど書きたくても書けないこと多いねぇ、なんてことボヤいておりました。


私はもう販売店の人間でもないのでなんでも言えるんですが、正直、ソリューションってのは政治なのかもしれない、と思いました。


私自身は、なんというか、哀しいです。正直、こういうことを聞くと。



今週、MacWorld Expo Tokyoが開催されたわけですが、2ヶ月前の製品が「値上げ」するという発表がありまして、別に部品が高騰しているのは世界規模なのでそういうのは仕方ないのかな、と思うんですが、その対価は埋められるのかな?と思えばどこにもそういうのが無い。

良く、VAIO Wの値上げと比較されているようですが、VAIO Wの場合にはネットワーク対応の録画再生機能にVersionUPとかリモコンが付いたとか、まだその差額を一生懸命ごまかそうというかユーザーに申し訳ないから納得できる対価を少しでも充てようという気があるので許せるんですが、iMacに至っては別にその辺が何も無い。

ある日突然、明日から値上げしますって言われて、普通の人はどう思うのだろうか。しかも、それは入門機。


前にはG4のクロックをダウンして売るという自体を招きました。数字こそ違えど、今に言わせれば1GHzに到達した新マシンです!と豪語して置いて売るt機にはごめんなさい供給間に合わないから0.8GHzにさせてください、と言っていたようなもんで、そんな売り方が許されるのか?ってな感じです。

液晶のiMacだって、正直あの値段でも少し高めでデザイン料がプラスされたと思えば・・・って考えさせるようなデザイン+この値段!って売りこみかたしておいて、いざふたを開けると「値上げします」ってのはないだろうと思うわけです。

で、ソリューションの話にしてもiMacの話にしても「はじめに、ちゃんと決めてそれで説明して欲しい」っていうユーザーの意見はごもっともで、出来ることと出来ないことを金を払う前に、提示した段階で説明できないから不信感や不安を覚えるわけで、そういうのって提供する側がしっかり頭に描かないでアドリブで決めました、って証拠づけているようなもんだと思うわけです。

で、そうなるとユーザーは「もうこれ以上お金払いたくない」という形で・・・正確にはお金を払う金庫番がこれ以上はイヤ、というわけで、提供する側には願ったり(面白くないことやりたくないから)で、最後に泣くのは現場の人間だったりするわけです。

iMac値上がりしたのでメモリ追加ナシね、とか言われたり、ソリューションならば多少の使い勝手はガマンしてね、って・・・。




で、結局なんのために新技術や新製品はあるのか、なんて思うわけです。特に、私自身思うのは言語。JavaとかPHPとか、XMLだとか、最近いっぱい出てきますよネ。それはそれで凄いと思うんです。でも、その言語や技術が「何に使われ何がメリットで、これを使うとどう変わる」っていうのが明確で無いまま、ただ、技術者の「いいだろ、これ、今までにないだろ」的に出ているものが非常に多いような気がしてなりません。



別にSONYを擁護するわけではありませんが、SONYのモノヅクリは結構明確で、このデザインでこれがしたい、というテーマに基づいて物がつくられていく。だからユーザーは「これをしたい」が判りやすくてその製品を買う。こういう図式って結構あるから売れるものがあるんじゃないかと思うわけです。



例えば、私は去年「NetMD」に対応したSHARPのMD-Jウオークマンを買いました。実はほとんど持ち歩いていません。嫁からは無駄な買い物、と言われたりします。

形がウォークマンタイプだからなおのことです。

でも、私はこれを持ち歩いて聴きたいという用途として買ってきたわけではなく、たまには持ち歩けて、でも実際には、
LP録音(長時間モード)に対応していない愛車のMD再生機でMDを聴きたく、そのソースはMP3の音楽データだ、ということがあったためにNetMDという規格のこれを買った、というのが本音で、


CD→MDダビング、だと後でお気に入りのディスクを作るのが面倒だし、曲タイトル入れるのが大変

CD→MP3(CDexCDDB使って自動タイトル入力)→NetMD(曲名も自動で入る)


ということをしたかったわけです。CD→MP3の録音は1枚10分ぐらいで終わるし、LPじゃない古いモードのMP3→MDは普通にCD→MDに入れる時と同じぐらいの時間が必要なんだけども、タイトル曲入れなくても自動でできるし、なにより放置しておけるし、曲順も予め決められるしトータルの音曲時間も始める前に判るので複数のアルバムからお気に入りを作る時にはかなり重宝しているわけです。

えっと、ようは、ウォークマンの形をしているから「持ち歩かなければならない」という先入観があると、持ち歩かないから=無駄になるわけで、それこそそんなものは要らない、になってしまうのですが、「なんのための技術か」という点で捉えるとNetMDを活用して「楽が出来る、便利になる」点が理解できていればそれで十分役割を果たしているのです。例えばこの場合、私はNetMD機器を手に入れたことで、クリエと車の音楽のソース管理が1つ(MP3ベース)になった上にタイトル管理をほとんどしなくて済むようになった=時間と資源の一括管理、ということが実現できたわけです。

でもって、これは、自分がダビングなんかを中学生のころからやってて、昔っから面倒だなぁ、と思っていたことを解決するソリューションだったりするわけです。

この面倒だなぁを解決するソリューションと、新しいことができるっていうソリューションの2つの側面が見えたことに注目してください。



  • 新しいもの=多少使いづらくてもどんどん変わるだろうという期待も含めて我慢できる。
  • 今までにもあるもの=面倒な部分を解決してくれるのが価値あること




    この2つだと思うわけです。新しいものは粗削りでも許されますし、今までにないものを自分が作るっていう意気込みが作る側にあって楽しいわけです。そこには自由と発見が待っています。逆に面倒を解決ってのは粗削りに実現した発見を意味づけて整理するわけですから作る側にとっては角が無くなるかもしれないし面倒なフォローとかもしていかなければならない、さらに新しいものではないからお金が取れない、という間違った観点が邪魔をするわけです。



    新しさが無くなるのは早いわけです。最後に残るのは「細かい部分まで考えられている」というものではないでしょうか。それが受ける。iMacVAIO W。iMacはとにかく斬新さや今までにないもの、を協調しています。かたやVAIO Wは今まで色んなメーカーが失敗した道をじっくり考え、ユーザーの視点を一生懸命考えた。

    どちらが良いのでしょう。私には判りません。しかし、日本人はユーザーの視点で作られた商品が安心で気に入りやすいと考えます。


    両立した製品が、一番受けるわけです。たとえば、CLIE NRオリタタミシリーズ。最初からクオリティが高いです。あれ。どのみちPalmの高速化の恩恵を受けるのはPalmOS6からで、5はエミュレートなわけですから、欲しい人は今買っちゃうのがオススメだと思います。まぁ、後から色ちがいとか出そうですけどね・・・。