久しぶりにこれを更新できる。実はつい最近、新しいことをやってみた。1つは洗顔をちょっと変えてみた。お風呂上がりにサンプルで入手した女性用の洗顔剤を使ってみたのだ。これ自体は無償だが本製品は3000円もする。

なぜ、こういうのでなければいけないのだろうか、と、常日ごろ思ってはいた。で、実際の結果だが、2〓3回試したが、やはり、「違う」のであった。

何が違うというと、一言で言うと「つっぱらない」のだ。1000円程度の洗顔剤では得られない感覚だ。なんというか、洗ったあとを膜が覆っているような、一言で言うとそんな感じだ。これは、もう、手放せなくなる、であろう。普通なら。安いものとは違う、そんな感じだ。

思えば、安いものとは違う、高級なものでしか味わえないというものは幾らでもある。たとえば、キャビア。やっぱり奮発してベルーガ(大きいやつ)とニセモノを食べた時は全然違う。ただ、さすがに他の本物キャビアベルーガを比べても「味」ではあんまり判らないのが、まだまだ、哀しい。

ほかにも、ネギトロだ。安物スーパーではアジなどにオリーブオイルをまぜてネギトロもどきを作って販売しているようだが、意外においしかったりするので間違いやすいが、やっぱり、ちゃんとしたものは違う。

もっとも、ネギ+トロというぐらいだから、本来はトロの部位にすべきなんだろうが、通常のネギトロ巻は中落ちあたりをミキシングして調整したものだろう。美味しければ、どっちでもいいとは思うが。



新しい時代が来たということを実感するには、それを知らなければならない。これが最大のテーマであると思う。そして、一番難しい。が、今、話しをしたように
「知らない味」は「知らなきゃ、わからない」のだ。これがとても大事なことである。



コギャルがヤマンバのような顔をしている。はじめは、なんだ、あれは?と思っていた。なんであんなんがいいのか・・・と。

自分と同じ世代か、それ以上の人では皆が思うだろう・・・「あれは、なんだ?」と。



価値観が違うといわれてしまえばそうだが、あれも「美しくなりたい」の1つであると認識できた。はて?あれが美しいか?といわれると、それは、NO。重要なのは

「違う自分になれる=嫌な顔を露出しなくてすむこと」なのだ。

つまり、どんな顔であろうが、あれになれば、あの顔になる。そして、そういう人が溢れる。だから、「自分は落ち込まなくてすむ」わけだ。顔について悩んだりするのはあの頃の女性は特に過敏だから、格好の『隠れ蓑』ではないだろうか。

そう考えると、納得が行く。なぜ、ああいう姿にしたがるのか。よく見ていくと、自分でも自分の顔に自信のありそうな子はあそこまでやっていないはずだ。多少黒くするぐらいでとまっているはずで、白いアイメイクやガングロなんかは自分の良さを消してしまうことに気がついている。



つまり、本質は変わってない。「自分は醜くない」という自信を持ちたいということなのだ。あのメイクをするだけで心の葛藤が1つでも消えるなら、皆がやりたくなるのは止める理由が無いでは無いか?

そして、そのメイクが間違った皮膚ケアだとしても、数年後に後悔するのは自分なわけだ。若々しい時に若々しい姿で健康的に過ごさず、タバコなどを吸い、20後半でフケ顔になったとしても、それは、自業自得なのだ。青春の3年間をとるか、20代後半をとるか。



最近、タバコを吸う女性が多い。べつにそれ自体は構わない。でも男はそれを見て、はじめは許すが後から嫌がる。男は吸い続けているのにも関わらず、自分の手元に置くと急に嫌がる人が多い。それは単純で、下品な吸い方をしている人が多いからだろう。

女性がタバコを吸って山の手通りとかで空き箱をポイっと捨てる、そんな姿は女性に限らず見たくない。吸い殻も同じだ。彼らはそれを必至に毎日掃除してクリーンな場所を作ろうとしている人たちのことは「知らない」。

まして、それを目のあたりにしても、自分たちはやったことがないから、「わかりえない」。どれだけ大変なことか。



新しい時代、新しいこと、今まで自分が理解できないもの、それは、全部知らないとわかりえないことってたくさんある。

でも、注意して欲しい。だからといって「やらなければ何もわからない」と同意擬ではない。子供を作る大変さや盗むことの犯罪度は「やらなくてもわかる」と思う。つまり、真剣に考えれば、今の時代、やらなくてもある程度までは判ることはたくさんある。

そう、考えると、21世紀に向けてやらなければならないことは、まず、自分を知ることからなのかもしれない。