いきなり、重いタイトルをつけてしまった。

皆さんは、自分にこう問い掛けたことが少なくても一度ぐらいあるのではないだろうか。


「自分はなんのために生まれてきたのだろうか?」



実は今年の春頃の話しだが、ごく親しい友人と酒の席で話し合ったことがある。彼曰く、子孫を残すためだという。たしかにその理由もある。人間という生物が子孫を残す。その過程で強く美しく種として完成されているものほど子孫を残すことを許される。自然界の、いや、生物の理だと思う。

では、それを人間に当てはめると、

  • 奇麗な人、力のある人、権力を手にしたもの、心が素晴らしい人、頭の良い人・・・。


    というイメージが湧く。ところがどうだ、過去の発明家や偉人たちの子孫はちゃんと繁栄しているのだろうか?そして、そのDNAはちゃんと自然界の種として認められ、受け継がれているのだろうか?

    残念ながら、それが100%に近い形で受け継がれていないのは、2世人物が1世と同じように3世4世と反映し繁栄していない現実を皆さんはご存知だろう。

    有名な発明家も生涯独身でこの世を去っていくことが少なくない。

    では、それは、優秀な遺伝子を後世にただしく残している「生きている理由」を補完しているのだろうか?



    あなたが誰かを好きになり、その人を幸せにしたいという気持ちは生きる理由だろう。だがその人がそれを望んでいない場合、それはあなたの生きる理由として機能しているのだろうか?相手にそのことを告げられ、その意味を判りながら好きになりつづけることは相手にとって迷惑となる。でもあなたにとっての生きる理由なわけだ。

    子供がいてその子供が例え援助交際して金銭感覚を麻痺していても、または集団でレイプするような将来の青写真を持っていたとしても「そんなことをするはずがない」と思い込んで、いや、言い聞かせて考えるのが子供を育てるという生きる理由だろうか。



    ズバリ、私は思う。



    生きる理由=自分が思ったことを信じ続けること



    ・・・だ。文章的に間違っている?いや、いいのだ。夢を持つこと、それを信じることは自分が思いついたことを信じつづけることだ。それが生きる理由になる。

    そうなると片思いも生きる理由でこれが両思いになった瞬間から生きる理由にならなくなる。いや、生きる理由が変わる。

    つまり、理由は原因であり、起因だ。



    自分の進んで選んだ道が、例えば愛している人に裏切られることでも自分が信じた道を生きる理由であると考えれば愛しつづけられる。はずだ。



     環境問題が取り立たされている。車なんか3リッターCarというのがもてはやされている時代になった。なにも3リッターしか走らない車でもなく、100kmを3リッターで走る車という目標だ。日本ではHONDAが実現し、TOYOTAプリウスなんかがそれにかなり近い。

    とかく「生きるために」環境をクリーンにしたがっている。自分たちで汚したことを理解し、それを補おうとしている。しかしそれを補おうと努力しているのは、自分たちの前の世代が残した爪あとを次の世代が復旧しているわけだ。



    とすると、逆も真なり。ぼく達の次の世代は「破壊を好む」

    破壊した世代がいま60〓50代だと仮定しよう。それをクリーンにしているのは40〓30と言えよう。中間10歳分は混沌としていてどっちつかずの人間が多いのでわざと外す。

    すると、今の10〓20代は破壊の世代だ。おお、なかなか、当てはまる。もちろん全部が全部ではないが、今20代にいる人はなんとなくわかるんではないかと思う。なぜなら自分たちより上の世代では「ツッパル・不良」ブームがあり、自分たちの下の世代では「コギャル(別世界な女子学生)と類を見ない少年犯罪」。あれ?20代の上の世代は世直しの世代なわけだ。つまり暴走族というのはものを束ねたあるいみで世直しだったのかもしれない。統制があったわけだから悪い方向を向いていたかもしれないが今のような人間として理解に苦しむような方向性ではない。と、言い聞かせて、自分自身が矛盾を言い聞かせているのに気が付く。



    そうだ。つまり、別に悪い面ばかりではない。

    かられの時代は破壊であると同時に「クリエイティブ」である。つまり、改善したいという欲求から保守的な考えを壊す=それはクリエイティブ。何も生み出さずただ快楽や欲望に走り責任を問わない、これが破壊なのか。





    脱線してしまった。

    つまりは、生きる理由なんて、些細な欲求かもしれない。それはどこを探してもない。なぜなら、自分の心のなかで信じることが生きる理由だから。


    さて、

    私はここ10年、寝ながら夢のなかで良く浮かぶ言葉がある。目が覚めるので思い出す。「私は次の世代に何を残せるのだろうか・・・」これの答えを出すのが、今新しくできた生きる理由である。




    そして、自分を信じるからこそ、恥じを恥じと思わず自分の力として頑張れる。

    それが、どんなに時代に逆行するような踊りであっても、部分部分を見たときに「なんだこりゃ!?」となるような振り付けであっても、それは自分たちで何かを変えられるのではないかと信じた力である。


    LOVEマシーン」という、今日発売されるモーニング娘。のパワーは、本当の意味で未来を変えようという心を感じる。そんな日にサーバーを公開できる私も未来に何かを残せたらいいなと思う。そのためにこれから起こる逆境の環境を跳ね除けねばならない。



    (この「生きる理由」の続きはいつ書くかわからないけど、つづく...)



    (今回のポイント:このファイルははじめた時から「nandakorya.html」になっています。

     また1999/9/9 9時を選んだのもモーニング娘。のパワーにあやかる意味から選んでいます。奇麗ごとなんて

     クソ食らえ!)

    (注: 過去、日記ファイルは1ファイルで管理され、都度消され、過去の内容は読めないようになっていました。また、この日はリニューアルオープンということもあり、色々今までの形を変えた日でもありました)