ガラナビとグローバルの波
最近は半年に1回くらいのペースでしかここに書いていないのですが、今日はガラパゴス化していた日本の一つの文化が終えようとしているので書きたくなって更新です。
ガラパゴス化した1つの文化、そう、それはカーナビゲーションです。
随分と前にもこの話をしたと思います。思い起こせば十年くらい前でしたか、日産のX-TRAILを所有した時に、20万円超クラスのナビを購入しましたが、数年前にトヨタのAQUAへと乗り換えた際、その数年間たっても変わらぬどころか一部退化していたカーナビを見て嘆き悲しんだ記憶があります。
進化の方向が「楽」や「手間を省く」に向いていなく、機能を、それもそれほど必要としない方向へと進むカーナビ。
それは時代とともにスマフォのナビへと置き換わっていくでしょう、そう書き綴っていたと思います。
2019年秋、ディスプレイオーディオが標準搭載され始めてきました。
2020年の秋、気がつくと、トヨタを中心として本格的に導入がされ始めてきました。
ディスプレイオーディオとは、簡単に言うと、カーナビからナビの機能を取っ払って、スマフォを繋げられる(外付けモニタがわりにする)モニタです。
モニタというと、コンピュータのディスプレイ機能をイメージしますが、ディスプレイオーディオは、そのモニタにオーディオ機能が付与されたものです。
・ラジオ、bluetooth経由の音楽受信ができる
・AppleのCarPlayまたはAndroid Autoに対応している
・一部のクラスによってはMiracastにも対応している
・機種によってはGPSも備えている
つまり、ただのモニタ(ディスプレイ)だけではなく、まさしくカーナビからナビ機能をとったオールインワンモニタのようなものです。
海外ではもう当たり前になりつつあります。
日本ではようやく盛り上がりだしました。
それというのも、もう、日本で若者が車を買う場合、ナビを付けない人が増えてきたからです。
スマフォのナビの方が新しい店やtwitterなどで拾った興味深い場所を簡単に検索できます。
その地図を見れば、行きたいところが容易にわかりますしナビゲーションもスマフォの中で完結しています。
場所のレビューも同じ端末で把握できるし、かつてCLIEでできなかった検索結果からカレンダーへの登録も可能なのです。
スマフォの画面もそこいらの古いナビの画面サイズより大きくなりました。
何よりも今の車についているナビやディスプレイオーディオのモニタより何倍もの解像度があって、綺麗で見やすいです。
なのに、なぜ、わざわざ面倒臭いナビに入力を行なってナビゲートを頼む必要があるのでしょうか。
確かにトンネル内ではスマフォナビは厳しいかもしれません。でも、それほど長いトンネルは航海の中でわずかです。
確かに渋滞情報は光ビーコンを取得できない分、ガラパゴスナビより劣るかもしれません。
でも、光ビーコンを受信できて反映できる道路はある程度限られています。
地図がDVDだったり、基本2〜3年前の地図をベースにしていたり、地図の更新にしてもおい金で3.5万円かかるような旧時代のシステムは、どう考えても、今の若者に似合っていません。
というか、私も、ずっとイライラしていました。
ようやく、iPhoneをUSBや一部仕掛けが必要ですが、無線でそのまま車で表示してナビがわりにできる時代へと突入しました。
でも、少し不思議な現象を見ます。
ディスプレイオーディオに、わざわざ社外オプションなどを利用して、iPhoneのYoutube画面やamazon Prime Videoを投影させようとする試みを行なっている人たちがいて、それが持て囃されていることです。
iPhoneやiPadより解像度の低い、しかも一旦アナログケーブルへ変換してまで車載モニタに表示したがる物好きがいるのです。
私には不思議でなりません。その変換ケーブルや社外オプションは、取り付けを頼めば数万円してしまうのですが、それを惜しみません。
しかも、その人たちはこぞって同乗者、とりわけ子供などに見せたいと言います。
「いやいや、そんな無駄いらんでしょ、さっさとiPad買って渡したら?」
そんなに高くないでしょ、今のiPad。
そっちの方が情報やデータがクラウド経由で共有できるし、地図もきめ細かく見られるし、車載のモニタより大きくて見やすいじゃないですか。
しかも色々なところに持ち運べるし。
・・・結局のところ、昔の環境、仕組みに「縛られている」だけ。
ディスプレイオーディオにナビをプラスすると、11万くらい取られます。
そんなお金、もったいなくないですか?
いや、安心感を手に入れたいのはわかります。
スマフォに慣れていない人には必要でしょう。
天秤にかけるつもりで、古いナビとApple CarPlay経由の純正マップアプリやYahoo!カーナビ、GoogleMapアプリを使うのはいいと思います。
これらはまだまだ途上で、特に高速道路や渋滞面でまだまだガラパゴスナビに劣る面が多いです。
でも、少なくても、10年以上前から進化が止まったガラナビより「伸びしろ」があります。
すでに表示は「不要な情報を削ぎ落としていて、スッキリ見やすいです」。
音声検索は素早く、過去の行動履歴が素早く反映され、事前に(車に乗る前に)行き先を「お気に入り」として登録しておくこともできます。
さて、ガラナビが終焉を迎えようとしているのに、まだ日本ではケチケチしているところがあります。
それは、モニタの解像度です。ディスプレイオーディオの解像度は、ほとんどがVGAです。
電子インナーミラーですら、4Kになりつつある今のご時世、解像度が悪すぎませんか?
解像度が悪い=文字が汚い(視認性が悪い)、地図が荒い(拡大しないとよくわからない)、視覚効果を与えにくいので見やすさが劣る、と、悪いことだらけです。
さっさとディスプレイオーディオにもRetinaディスプレイの波が来て欲しいです。
今時、7インチのモニタでVGAなんて、数万もしないじゃないですか。
安全性能しかり、自動航行システムしかり、黒船の力がないと動かない日本は、やっぱり後進国へと成り下がってしまったんだな、って思います。
変なものや個性を理解できない上司が溜まってしまったから、という話は、もう数年前にやりましたので、今更です。
いい車が出ても、いい内装、良いIT技術が今ひとつこなれていない。
ようやく安めの車に機能が揃ってきてきましたけど、安全性能のがモリモリある車は350万円程度の規模でないと手に入らない。
そんなんじゃ、今の若者に車を訴求するのはキツイですよ。
週末に、土日に毎回車を乗るとして、それを全部レンタカーにした場合、5年でいくらになりますか?
ガス代もあるから一概には言えないと思いますが、それをペイできるレンタカーより所有欲を満たせる車が程よい金額で買えますか?
今考えられる価格帯のゾーンって、税金や保険を考慮していくと、乗り出し300万が限界じゃないかな。
その300万にガラナビは必要ないですし、安全性能はきっちりあって欲しい。
まだまだ、メーカーと消費実態には少しずれがあるんじゃないかと思います。
ハイブリッド車が生きていられるまであと数年。
もう一段、日本は広告などの無駄を省いて、ユーザーに楽しい体験を与えられるようにならないといけないかもしれませんね。
そのためには、今の時代の人が「無駄なことに投資しない」ようにできることが、結果的には近道なのかもしれません。
その分、違うところにお金をまわせますから。
数年ぶりに起こる切り替わりの時期
2020年、時代は変遷のタイミングに来ていると思う。
時代の波は、大抵 IT機器の動きでわかる。
今度の場合、わかりやすいところが「5G」だろうか。
いや、コレそのものは普及に時間がかかるのでもう少し後になりと思われる。
それよりも無線環境のニーズから大きく変わっていきそうだ。
実は、我が家の無線環境はかなり古い。
光回線に形こそは四角いが、AirMacで飛ばしている。確かg規格の初期に近い頃の無線LANステーションだ。
今やaxの規格が主流になりつつある。
有線もGBクラスのネットワークで組むのが当たり前だが、意外にも無線環境が疎かになりがちだった。
PlayStationも「3」で止まっている。
普段家ではiMacしかもそれにHDDや大容量のSSDを繋ぐ環境中心に使っていたため、無線は「遅くてこんなもの」という認識だった。
このステイホームなGWを過ごし、我が家の無線環境が遅いことに気がつかされた。
NETFLIXを2台の端末で観ようとした時に、遅延で片方が再生できないことがたまにあったのである。
もう片方の視聴を止めると、反対側がスムーズに流れるといいうのを見て、我が家の無線環境が「混雑している」ことをかなり実感した。
「こんなものだろう」と思っている時、それは大抵は「時代に取り残されている時」だ。
時代は「こんなものだろう」が来る前に先手が打たれていることが当たり前で普及に時間がかかることを見越して市場は動いている。
大切なのは「安くなるのを待って導入」するのが良いか、それとも「先駆者的に時間をお金で買うか」のどちらが良いのだろう?という悩みにおける選択基準だ。
今までの例を見ていると、初代に飛びつくと、必ず初期不良なり導入における試行錯誤の苦労はつきまとう。これが通説だ。
新製品の初代に飛びつくと、必ず嘆く結果になる。
だから、人によっては3台目まだ待つべき、という人がいる。それは正解だ。
投資額だけを見ていると非常に有用な選択である。
しかし、実は3台目はワナでもあったりする。
初代は世に認められたいために必死にコスト度外視で作る傾向があるが、3台目は投資コスト回収ターンなのだ。
1台目が出て、2台目が出て、3回目が出るということは世の中に認識されたということだ。つまり「売れた」ということでもある。
2台目は1台目の欠点を補い・かつ機能不足を補って登場する。3台目は2台目までの技術をより安く作り、広めに行く普及モデルなのだ。だから、そこに技術革新による「驚き」はないことが多い。稀にソニーみたいな企業が3台目で真の機能を搭載することがあるが、それは初めから計算された出し惜しみのため、わりと稀だ。
5台目くらいになると、逆に収束が始まる。ここで大きな方向の変化が出せないモデルは大抵そのまま維持をしていく製品になる。
選択肢はあるようでない。4・5台目あたりで大きな変化が始まるとして、またその大きな変化が3台続くと仮定したら適切な買いのタイミングは「1か2」でパイオニア的な恩恵を得るか、普及し皆と同じものを安く使うかの実は2択である。
さて、私は1から4に行く、または2の初期から4の後期に行くのが一番楽しい。
人よりも早く「新しい体験」を得られるからだ。もちろんその分苦労も多い。しかしその苦労は、そのカテゴリにおける課題そのものだったりする。
課題に取り組んで、その改題を解決に導ければ、人よりも2〜3年早い時代を生きていける。それを繰り返し気がつくと人の何倍もの知識が蓄積されていく。
課題解決のためのアイデアがストックされていくのだ。
昔はそのために「苦労は買ってでも」という気持ちがあった。
今の時代は、かなり早い段階で知識の共有ができるようになったので慌ててファーストに飛びつかなくても情報が得られる。
ただし、Youtuberみたいに企業の「足」として使われている場合も多いため偏りがちな知識になりつつある。
TVというシステムは衰退し始めているが、インターネットの動画世界やレビュー世界も同じような時期に差し掛かっている。
だから情報を自分で見極めなければならない。
そこで、一つのモノサシとして判断できる基準が「こんなもの」と感じた時の気持ちだ。
最近はこれを重視している。
こんなもの、と一括りでいうのは簡単だが実は見つかるのがとても難しい。
「こんなもの」と感じるのは「違和感」が出てこないと気がつかないからだ。
何か現象が起こった時、こんなものだろう、と自分を押し込めて初めて気がつく。
ライト・・・灯が黄色く弱くなっている時は気がつかないが、パツパツと点滅し始めてようやく「古い」ことに気がつき「何年もたったったから」「こんなものだろう」と気がつくのだ。
もちろん、普通はそこで「切れたら対処しよう」となる。
賢い人は、点滅時点で「備え」を始める。
しかし、コロナ騒ぎのマスクよろしく、普及世代に購入すると「切れる時期」もまた皆同じなのである。つまり「皆が欲しくなる時期も同じ」頃にやってくる。
欲しい時に手に入らない現象になると、非常に厳しくなる。
では「備え」が良いかというと、それも購入しているのに使わない時期がある、ということで実は機会損失でもある。
我が家の光回線の引き込み自体はさほど遅くない。
しかし我が家の無線環境はだいぶ遅い。
今回の「何か」は無線環境を見直すきっかけになった。気がつくと、2019年から新無線環境がリリースされており、それがaxな環境だ。
a/bからgになり、気がつくとaxなる環境・・・WIFI6の世代になっていた。
今回のWIFI6は、スピードだけではなく、個々の端末へ届かせ無線の道路の「幅」に随分と気を使っている。
来るべき、5Gの世界には少し物足りなさがあるスペックかもしれない。ただし5Gがきた時に家中の端末に恩恵が得られる。
WIFI6に対応した環境は端末から徐々に始まっている。すでに今発売されているiPhoneは対応している。
5Gが当たり前になってくるとき、実は「光回線」そのものが「不要」になるかもしれない。5Gのモバイルルーターを使う方が速いっていう事態になるかもしれないからだ。
それをうまく使えるかどうかは、WIFI6の環境を準備できているかどうかに関わっている。しかしその恩恵を受ける端末はまだまだ少ない。
1台目と2台目のどの時期に導入するかで、次の切り替えのタイミングも決まる。
マスクとは違って、生活貧困レベルまで下がる話ではない。
が、先を行く人はどんどんと先を行くのである。
自分はどっちで居たいか。
今も、そしてこれからも悩んで生きている。
今までの経験から言って、一つハッキリと気が付いている点がある。
それは、知識があると『騙されにくい』という点である。
密かに始まるAppleの革新
実に1年ぶりになってしまった。
1年前に手足の手術をして、実はまだリハビリが終わらす、右手は完全に握ることがままならない。
そんな中、気が付くと始まっているiPadOS、PhotoShopやIllustratorの対応。
もちろん、マウスへの対応も含めAppleはiPadを基本デバイスの1つとして、いや、もしかしたら今後の主軸として置き換えていく検討をしているかもしれない。
考えてみると、開発環境はあれど、使うアプリは数少なく、「ユーザーがパソコンに求めるアプリ」はMacOSでは、と言うより、Windowsも含めて、もう少ななってしまっており、あってもコアなソフトで高価なものばかり、と言うイメージになってしまった。
使いたい機能に釣り合ったコストで配信されている「iPad」や「iPhone」向けのアプリは無数といってもよく、もう実績がたくさんあるの日も関わらず、だ。
気がつくと、パソコンは要らないものになっているばかりか、触ったことのない学生が就職しだす時代になってしまった。
1996年からblogみたいなものでつぷやき続けてはいるが、よもやこんな時代になるとは。
Appleの話にフォーカスすると、たぶん、本当は MacOSとiOSを共存、ないしはMacOSでiOSを内包できるような方向での模索をしていたのではないかと思うのだ。
しかしながら、iPadOSが出たということは、内包をあきらめて、主軸OSをiOSベースで新しく構築しはじめたのだと想像する。
将来的には、iPadに開発に向いたキーボードを取り付け、ないしはKickStarterで始まっているようなiPadをMacBookのようにカッコよくバックライト付のキーボードを付けてくるようなオプションでnote化してしまう戦略を行うかもしれない。
というのも、来年より発売されるSurfaceXProや新しい2画面のSurfaceは、実はAppleが昔コンセプトビデオを出した時点で世間に訴えた、実現しなければいけないApple製品の未来そのもの。
それを先にMicrosoftが実現してしまう、というのは黙ってみていられないはずだからである。
iPadOSは、一見するとiOSの別バージョンのように思えるが、今後の構想次第では長く続いていた「MacOS」そのものを排除してしまうためのOSかもしれない。
今の時点では、まだ早いだろう。だが、3年後はわからない。
現在、最新のMacOSをiMacで触っているが、正直、数年前と比べて、ダークモード以外何が良くなったのかわからない。
いや、正確には「iOSライクになってきていて、iOSで出来る当たり前が実装されているくらいで、当たり前が当たり前になっただけにしか感じない」のだ。
革新的にスゲエ良くなった、が、個人的な意見ではあるが、本当に感じないのだ。
MacOSのハードを使う利点はなんだろうか。
MacBookProに代表される特殊なタッチバーなどのサポートだろうか。
ハイパワーなPhotoShopの処理だろうか。
一度に20ファイルを開いて作業するような大容量メモリが必要な何かか。
iMacではApplePencilも使えないままだ。私にとってはタッチバーはApplePencilよりも魅力が無く、使いたくもない機能だ。
むしろSurfaceDialの方が使いたいと感じる魅力がある。
動画編集は、iMacのFinalcutよりiPadの方が楽ちんなんじゃないだろうか?
なんだか、今のAppleは、よくわからない。
正直、Surfaceの方が役に立っているという点では、かなり進んでしまっている。
OneNoteによる情報管理。
そして、ビジネスで役に立つSurface上のWhiteBoardのアプリ。
これら2つとペンの組み合わせは、協調作業やアイデアの共有にもってこいの仕組みになってしまった。
iPadでも使えれば、というくらいになっている。
手元のtabletの「白紙」に書いた内容は、簡単に他の人のtablet(surface)に共有され、かつSurfaceHubという大画面のモニタにも映し出される。
しかも、それは場所の制限をしない。
AppleはiOSを作り出して、とても便利な世の中を作った。
それは紛れもない事実。
しかし、最近は進化が少ないと思う。
深化も少ない。
世の中には、まだまだ「デジタル化」したいものがたくさん溢れている。
例えば、町内会の掲示板。
デジタルデバイドとして分離された方々が、日々利用している「紙」媒体で生活の一部になっているいくつか。
役所への申請もそう。
申込書もそう。地域交流のイベントの参加可否も、いまだに紙面ベースで出欠を取っている。
家のポストに刺さりっぱなしの回覧版。
ちょっと旅行で家を留守にしていると、逆に「留守であることを示す」アイテムになってしまい、セキュリティの不安を抱えてしまう。
そういう時代になっているにもかかわらず、回覧板は近所からポスティングされてしまう。
内容を見れば「子供たちの・・・イベント実施、参加の方は・・・」という内容だったりする。
うちの周りに小さな子供がいる家はかなり少数。
こんな情報のために、うちは泥棒にサインを送ってしまうのだ。なんともやりきれない。
まだまだデジタル化と時代に合せなければいけない世の中が多い。
日本のメーカーは何をやっているのだろう。
ソーシャルなNPO団体は増え続けているが「どこに」自分が有益な団体が存在していて「どうアプローチすれば」いいのかわからない世界だってある。
市政のホームページを見にっても情報が多すぎて良くわからなかったりする。
そんな状態でデジタルデバイドな人たちは、世の中をどうみているのだろうか。
情報過多で諦めているのがほとんどではないだろうか。
まだまだ見つめれば変えられる仕組みは世の中にたくさんある。
今後のAppleや、日本のメーカーはどう動くのだろうか。
箱ものだけを売って儲かる時代は、もう終わりを告げている。
共有を盛んに行える仕組が、今の時代に求められている。
iTunesによる情報統制、アプリストアによる簡便な購入、エコシステムでの安価なつながり。
日本の「詰め込み」ソフト販売は、これに対抗できず廃れてしまった。
それは時代のニーズを3年先を見越して詠まなかったからではないだろうか。
リスク回避で失敗を恐れたからではないだろうか。アイデアを出してくれた人の意図を汲み取れない人任せの役職の無能化ではないだろうか。
今の若者は、知識が長けている。
知識が共有化されている。
ティール組織化へと向う今の社会組織、新しい時代のためのiPadOSは、Surfaceに立ち向かえるのだろうか。
Apple製品の中だけでの情報共有化だけで良いのだろうか。
今はMicrosoftの方が、よっぽど世界を見つめている。
でも、心配はしていない。
来年である2020年は、令和の情報革新が起こる年だろう。
久々に、わくわくする世界がやってきそうだ。
病院日和で感じる求めすぎるサービスレベルの麻痺感
お久しぶりです。
正月以来ですかね、更新。
どうしてまた急にここを更新するのかって言うと、実は生まれて初めて外科の手術っていうのを経験して、ベッドの上で腐っているからです(笑)
通常であればこの時期に各地に出向いて散歩して、美味しいものを食べて、バードウォッチングも楽しんで、と、まさにアクティブシーズン。
それを、今年は事もあろうに左足で蹴つまずいて左膝小僧から着地、その際にかばった右の手首の骨も折ったり欠けたりとやってしまい、ロッキングプレートを埋め込む事態に。
膝小僧の方は、下半分がお煎餅のアウトレットのようにバラバラに。
Apple watch S4を買っ2日後に、転倒をすると言うなんともドラマチックな出来事も経験致しました。
ちなみに65歳以下であるわたくしの、Apple Watchの設定では転倒判断がデフォルトでオフになっていまして、緊急画面は出てきませんて、というか、出る前に直ぐに嫁さんにウォッチから電話しましたわ。
何せ自力で立とうにも左膝より下に力が全く入らない上に膝小僧辺りが凹んでる、対角線上にある右手で床を押そうにも力が入らないので自力で起き上がれない、そんな状況でした。
嫁さんの判断で直ぐさま救急車。
もちろん生まれて初めて乗りましたよ。
そんなこんなで入院生活が始まったわけです。
で、既に3週間目に差し掛かるわけで、途中病棟移ったりしながら、看護師さん、男女合わせて30数名を観てて思ったサービスのレベルをメモしておきます。
前提条件:
1、利き手が思うように使えず、ものを掴めない、掴みにくい。
2、足が曲がらないまたは曲がりにくく、更に起き上がりにくいため、左手で視界にないお皿からスプーンで掬って食べる、または、リハビリ中。
確認していった事:
1、来てくれた時、部屋のカーテンをちゃんと締めてくれるか
2、薬や絆創膏、その他包帯など、ナースコールをしない際にお願いした事を次のターンまでに必ずやってくれるか、または相方に引き継がれているか
3、リハビリ中でも、食事のラップを取りますか?と声を掛けてくれたり、剥がしてくれたりするか、気にして声をかけるか。
4、言葉の口調、サデスティックか、赤ちゃん言葉か、優しい大人の感じか
5、医師に伝わるか。痛み止めが切れるし痛いのが変わらないので次の薬が確保してもらえるか、いなか
6、手術前ではトイレに行く際にはナースコールで左足をベッドから降ろしてもらう必要があったんだが、足が床に着くまで持ってて欲しいそうでなく途中で離されると激痛なんです、と伝えた後、次の2度目のナースコールで来てくれた際にそれを覚えているか。
まぁ、共通して日々確認してたのはこんなもんかな、あとは、不安を取り除くのに相手を思うような言動があったかどうかくらいの確認かな。
こういった事を、何人もの人に同じようにお願いし、その反応を見ていくと、本当に人の性格というか、仕事に対する接し方というか、看護のサービスレベルっていうのは一定じゃないな、とつくづく感じます。
大きく分けて、4つに分かれてる感じ。
・ひたむきだが無口タイプ
・少しでも患者にやらせて手抜くタイプ
・明るく元気づけしながらもしっかりなタイプ
・作業扱い、面倒は嫌いとオーラを出すタイプ
ひたむきと、元気タイプは、正直当たり。
これがサービスの頂点にあると思う。
基本、看護は基礎的な事を手を抜かない、患者の今を見逃さず、すっと言葉や手でサポートしてくれる、それができる人とできない人がいると言う現実を受ける側も知っておくべきだと感じてる。
できる人基準で毎日を過ごすと、出来ない人に当たった際に不安と不満が高い確率でアップする。正直、担当です、と、挨拶に来た際に落胆してしまう。
だから、良い人を基準で日々を過ごしてはいけない。
なにせ、良い人は4割程度なのだから。
また、若い人は痩せてる人に、良い人は多い。
歳をとってる方は逆に太めの方の方が良い人が多い。
ヤンキー系の顔だちはサデスティックな口調が多い。顔立ちがロリ系な人は良い人が多い。
男性の看護師は、基本良い人が多く、たまに物忘れが激しい人がいる。
ビジネスでは当たり前のメモを取る、や、記録する、が、身についていない人なんだろうと思う。
女性は、医師への伝達や相方への引き継ぎがスムーズでない人が年齢関係なく多い。
呼ばれた際に交互にやってくる仕組の連絡手段が欠けている、仕組上の欠陥かもしれない。
でも、良い人は、この点もしっかりしている。
ようは、めんどくさがっている面を1つでも持つ人は、大抵1つじゃなく、アレもコレも出来ていない。
この傾向が顕著だ。
お願いした事を次の時に忘れてる人や言葉のケアがない人は、大抵、清拭の際に拭ってくれる箇所も雑で適当。
これは人になんでもやらせようとする人が顕著。例えばそう言う人に限って下の部分は自分でやってもらえず、タオルを渡して「自分でやる方が痒いところに手が届くってよく言われるの」、ハイ、的に言葉巧みにやってくれない。
当然、利き手使えず体もひねられないから、左手の届く範囲までしか拭けない。
そんな姿を見せても見ぬふりをする。
入院にはお金の支払いが絡むので、こう言うのは本当に腹がたつんだが、良いレベルを当たり前と思っちゃいけないんだ、と、思うようにして諦める術がないとやっていけない。
さて、こんな不定期の更新ブログを誰がどこまで見てくれるかは、もうわからない。
でも、見てくれた人は、是非覚えていて欲しいと思う。
看護のサービスを受ける時には、良いレベルを当たり前と思わず、良い人に当たった時は御の字、感謝の心を忘れないで欲しい。
6割は、ちゃんとしてくれないし、女性の2割は不安な患者を工場の豚と同じく見てる。
謹賀新年:平成の終わりにて
新年、明けましておめでとうございます
ここのblogも、古くから続けている割には、最近全く更新しなくなりました。
一応、カメラ系のblogとして、2日おきに更新を、こちらでしています。
近況は、そっちで確認できますので、よろしくお願いいたします。
最近のTOPICSとしては、FUJIFILMのX-T10からX-T2となって、バードウォッチングにハマってきているところでしょうか。
側で嫁さんが同じFUJIFILMではなく、SONYのα7R3を手にして二人で双眼鏡だけ見るだけではなく、あの鳥さんをキャッチできたとか、カメラでやりながら遊んでいるところでしょうか。
それと色んな勉強のために、iMac5Kが手元にあります。
今年は、1996年からインターネット世界に入り、blogやモバイルアンテナもどきを初めたあの1997年から、もう20年を丸々超えた年となります。
使っている端末も、EPSON 286NOTEfから始まり、、386NOTEA、PowerBookDuo230、PowerBook1400、VAIO 505Z、SR、F、Macbookと色々触って今のメインはiMac5K。
手元の端末もザウルス、CLIE をいくつか、iPhoneは3GからXになり、その間にカメラもコンデジからPENTAX QになりX-T10、今はX-T2、α7R3と、とてもいろんなものに切り替わって、それこそ左右上下前後といろんな製品を手にし、いろんなものを手にして都度考え、イマココにいます。
20年間で得たものは、製品より経験。
電脳オタクと言うより、最後はどれだけ生活を楽しくしてくれるか?って言う実用重視になってきています。遊びもスキーからドライブ、小旅行、バードウォッチと色々変わってきました。
これからどうなりますかね。
昔のように、デジタルガジェットへの関心っていうのは消えていくんだな、と思います。
iPhoneの存在が色んなものを変えた、というのもありますけど、企業が今までの企業で無くなり、色んな方に変化して行くと思います。
気がつくと、子供の頃から変わったものっていっぱいあります。
- お菓子
- 近所のお店
- 身につける装飾品への価値観
- 乗り物
- 連絡手段
- 外観の変化は少ないですけど、着ているものの素材
- 家の作り方、機能性
- お金の入手手段
-
子供から、っていうと、だいたい30年ぐらいですか。世界は目まぐるしく変わりました。
たぶん、今後20年で大きく変わって行くのは「目に見える医療体制」「エネルギー周り」「移動手段」でしょうか。
人不足の深刻化で、IT(AIロジックやロボット)も加速するでしょう。
今まで人の数や力技でなんとかしていたところは、一気に変化を求められるでしょう。
特に、体育会系の働き方をしている会社。
「人に何かをやらせ」「それをまとめ上げる器用な人」は、これから機械みたいなものを相手にしなくてはいけません。
単純作業をしていた人はどうなるでしょうか。機械に置き換えられて行くからです。
人にやらせて上がっていった人、は、機械にはコミニュケーションが必要ない、ということに早く気がつく必要があります。
コミニュケーションや「笑い」で上に上がっていった人は、もう、その手法が使えなくなる時代が近くにあることに気がつく必要があります。
知識をベースに、常に効率の良い動きを考えられないTOPや上は、もう要らない時代です。
誰かにやらせて、その力を利用して、立ち回っていた人は、今度は自分がその力や知識を得て自分の意思で世界を回せるようにならなければならいません。
具体的にはなんでしょう?
人に伝える力、まとめ上げたものを提示する力、納得させられる力。
端的な言葉で説明すると、こう。
「何かあったら困るから待機して」なんていう考え方を持つ人は、もう要らない時代です。
「何があっても大丈夫なほど、手を打ってある」と言い切れる人が残れる時代の突入です。
さてはて。
私は、近くに「何かあったら困るから待機して」という人がいて、それに振り回されそうになるのが困っているのです。
私は、何があっても大丈夫なよう、早くから準備して用意し、かつ問題なくなるよう、皆を導き巻き込む派だからです。
不測の事態を怖がって待つほど愚かなことはありません。
だいたい18パターンくらい先読みしておけば、なんとかなります。
みなさんの周りはどうですか。
まぁ、そんな風に、株やFXの動きも詠めるようになれれば、もっと幸せなんですけどねぇ・・・。
未知なる世界
お久しぶりです
と言っても、もうblogの域をとどめていないほどの時間が経った更新です。
1年半くらい放置していましたし・・・。
まぁ、言い訳ではありませんが、写真blog側の方は今でも続いております。
さて、生まれて初めて、インフルエンザにかかりました。つい4日前のことです。
いや、正直きついてですね、これ。
ずっと床に伏せていながら、考えていました。これまでの色々なこと。
1996年ごろ、もう今となっては20年も前になります。その頃にNIFTYから飛び出て夢を描いてHTMLを解析しながら厳選モバイルリンクを作っていたのを思い出します。
あの頃はMacintoshやEPSONのノートなんかで楽しんでいた時代です。その頃はWEBSTARやらでWebSiteを立ち上げたい!とか、今となっては皆無の価値観になった「HomePage」を作りたいっていう気持ちがありました。
cgiやらapatchによるWEBサイトの作り方、IISでのサーバーサイドイクルードの使い方、JSP、色んなことを覚えていきました。
気がつくと、2000年がやってきて、FLASHサイト全盛になってきて、Windows2000というのが出てきてMacOS(漢字TALK時代)より安定するようになってきて・・・。
その頃作っていたスキン「DeltSeven」という透明な石の調子デザイン、XPでも使われ始めMacOSXの「透明石ボタン」全盛の時代に突入していきましたっけ。
その後、XPはVistaやme、7/8と経て、Windows10へ、MacOSXは数々のバグを乗り越えてMacOS SierraとiOSへ、どんどんと変わっていきましたよね。企業のセキュリティ対策も強化され見直され、会社に自分のPCは繋げられなくなり、データの持ち帰りやUSBによる持ち込みにもNOのサインが突きつけられるようになりました。
その流れとともに、アプリの見直しや開発体制の見直しも迫られつつ、労働環境まで政府が厳しく通達するようになってきました。
・・・何が言いたいかのというと、気がつくと、パソコンがいらない時代になっちゃいましたね。
20年前は、パソコンてすげぇ、色んなことができるよ、世界変わるよ!ってワクワクしててのーとPCすげぇよ、こんなに軽くて色んなこと出来るよ、っていう時代全盛から20年でパソコンがいらない世界になるなんて、思いもしなかったというか。
昔に、こんなザウルス欲しいよ、っていう絵を描いて20年しないうちに、そんなの古臭い、みたいになるまでこんな短い間にそうなってしまうとは思いもしませんでした。
これから時代は何か。
そのために必要なこと、それは「知識」をどう取得し、「何の知識」を取得するか。
これが重要な意味を持つ時代に入ってしまったようです。
今は「ググれば」なんでもわかる時代。逆にいうとつまらんことに記憶領域を使う必要がない時代です。
自分の頭の中の記憶容量が10TBくらいが限界だとすれば、その10TBに何を残すか。これを意識しないと流されて終わってしまう時代になりそうです。
振り回されるのはごめん。荒波の中に放り出されて、目的地もわからず転覆しそうになりながらも岸についた、でもその先は・・・
みたいな展開だけにはなりたくありません。
荒波をコケながらもサーフィンし、せめて見える向こう岸の良さそうな場所にたどり着きたいです。
だからこそ、何が必要なのか。
海の話が出たので、同じように考えてみましょう。荒波の中、向こう岸を見据えるには何が必要か。
「不安定ながらも起立し少しでも高い視点を確保できる環境」が真っ先に必要ですよね。
その環境は「一枚の板」から成り立っていますね。
「できるだけ晴れた視界を遠くまで見える目で」捉える必要がありますね。
もちろん、そこに行くまでの「体力」と「勘」も必要です。
その方向に向かうには「梶」も必要ですよね。
「板(基盤)」「視界・眼」「体力」「勘」「方向に押し出す梶」、これらを手にすれば自らの意思でたどり着きたい岸に着くことはできそうですよね。
デジタル世界のこれら5つってなんでしょうかね。
私が思うに基盤は「文字」だと思っています。どんなに時が流れても文字は当面消えなく、デジタルの世界の中心にいて、自分を起立させることができる唯一無二の存在じゃないかと思います。
方向に押し出す梶は、その文字を発信するかしないか、こう考えます。流されるか自分の意思で漕ぐか、その違いは発信と似ています。
じゃぁ、あとは目と体力と勘ですが・・・
体力は続けること。眼は自分の定めた方向性。
何を言いたいかと言いいますと、ようはですね、最終的に「辞めない人が向こう岸へ」着けるのではないかと思うのです。
なんとか思考だの、フレームワークだの、流行りだのそうでなかろうの、形にハマろうがハマらなかろうが、その文体が拙かろうが分かりやすかろうがなんでもいいだと思います。
辞めないこと。続けること。
何年かおきに一度でもいい。
見えにくい岸に向かっていって自分の思うことを発信し続け、信じて突き進んだ人は、飲まれずに大局的に物事を見ることができ、次の20年先まで意思を持って歩めるのではないかと思います。
そんな気持ちがあるので、駄文が続くかもしれませんが、ボヤキ続けると思います。
今は、過去の変動のPC世界の15年を封印し、変動のカメラ世界の15年を追っています。カメラ世界も5年が経ちました。
ちょうどXPが出たあたりです。カメラ世界はこれから複眼のスマフォと老舗の一眼の戦いが始まります。
成熟しきったが、手間暇育てて衣を剥がせぬ一眼の世界 V.S. 奇抜な改変のデジタル処理。
音楽もピアノ作曲からデジタル音の重ね技で変革し、印刷も一枚一枚フィルム重ねて版を作る処理からデジタルパブリッシュでプリンターみたいに間のフィルムが無くなっちゃいました。
年賀状だって一枚一枚プリントごっこしてたのが、今やLINEに代わり紙を使わなくなり始めています。
ビデオもそう。スマフォで撮ったそのままがYoutubeにアップされTVより効果が高くなり始めています。
得てして手間暇かかるもの、めんどくさいもの、工程数が多いものはデジタルに取って代わられます。
1つ1つ職人の手で作り上げるのは素晴らしいけど、それは時代のニーズに合っていないのです。
あと、今現在で手間が多いのなんですか。
車のナビもそうですね。他は?
料理もそうですね。他は?
病院の手続きもそうですね。会計は既に自動化されつつありますよね。
似たようなのにスーパーのレジ打ち会計もそうですが、半自動化進んでますよね。他は?
本を探す行為?そうですね、既にamazonに代わってきていますよね。他は?
今、世の中では、この「他は?」探しに躍起になっています。
これがビジネスチャンスだからです。
結果私たちの世の中は便利に楽になっていきます。
気がつかないと、あなたのやっている仕事量はゼロになります。
ゼロになっっとき、応用が効かなければ、無用となります。
荒波で立つことすらできなくならないよう、やはり、視界を高く保つべきです。
頑張るという言葉は嫌いです。
何をどうするのかが明確でない。
でも、不特定多数へのメッセージなら使えそうです。
お互いの明日のために頑張りましょう。
Apple pencil が塗り替える世界、終わりの始まり
こんにちわ
またしばらくぶりにblogを書いています。
前回、macbook12(2015)のお話をしましたが、その時に感じていた続きになります。
前回の話の中では、下記の事項を記載しました。
さて、皆様ご周知のとおり、この10月にiPadProなるものが登場してきます。その中でも革命的な商品「Apple Pencil」が今回一番着目すべきポイントではないでしょうか。
使用イメージの画像を拝借
単純に普通に思いつくアイデアを洗練して魅力的な商品にする、というヒト時代前の日本の製品の作り方のような形で出してきているこの商品、実は結構ポイントが高いと思っており、これ1本で世界を変える可能性があります。
先ほど、Windowsに残された「キャンバス」に関係する世界、これを「iOSというアプリの安い環境で構築するシステム」がiPadPro+ApplePncilです。
つまり、もうIllustratorもPhotoShopもPainterも要らないのです。
絵を描くのにWacomのタブレットも必要ありません。本当の意味で紙のようにデジタルデータを取り扱え、高くても数千円のアプリを買うだけで「キャンバスに対して何かする」というシステムが手に入ります。10万そこらで。
Wacomのタブレットでこの大きさのものを購入し、ソフトを購入し、PCやモニタを揃える、またはSurfaceを手に入れる、そんな必要はありません。これは革命です。
しかも最後に出力されるデータはTIFFだったりPDFなわけですから、DTP(印刷)の類との相性も良い。これは凄まじい革命です。
残されたニッチな分野まで奪いに来ています。
後は・・・、PowerPointも使えるんですよね?だったらWindowsはEXCELと基幹系または勘定系のイントラシステム周りを仕事で使うだけのマシンになってもらいましょう。
おそらくこのiPadPro+ApplePencilの登場は、一般の人の「絵」または「CAD」に関連するクリエイティブ活動を刺激し、興味を持つ人の裾野を広げ、それは例えばコミケを刺激したり、3Dプリンタを刺激したり、さらには写真をアートで触ることや絵をそのもの書いたり刺繍の下絵を描いたり、といった色々なキャンバス関連の世界に浸透し、塗り替えていくでしょう。
そういう意味で、もしかしたら、もう MacOSXって要らなくなるのかもしれません。Windowsも要らない、つまりもうパソコンなんてのも要らない、そんな世界はすぐそこです。
数年後、私たちの周りはどうなっちゃうんでしょうね。