未知なる世界

お久しぶりです

と言っても、もうblogの域をとどめていないほどの時間が経った更新です。
1年半くらい放置していましたし・・・。

まぁ、言い訳ではありませんが、写真blog側の方は今でも続いております。


さて、生まれて初めて、インフルエンザにかかりました。つい4日前のことです。
いや、正直きついてですね、これ。
ずっと床に伏せていながら、考えていました。これまでの色々なこと。

1996年ごろ、もう今となっては20年も前になります。その頃にNIFTYから飛び出て夢を描いてHTMLを解析しながら厳選モバイルリンクを作っていたのを思い出します。
あの頃はMacintoshEPSONのノートなんかで楽しんでいた時代です。その頃はWEBSTARやらでWebSiteを立ち上げたい!とか、今となっては皆無の価値観になった「HomePage」を作りたいっていう気持ちがありました。
cgiやらapatchによるWEBサイトの作り方、IISでのサーバーサイドイクルードの使い方、JSP、色んなことを覚えていきました。
気がつくと、2000年がやってきて、FLASHサイト全盛になってきて、Windows2000というのが出てきてMacOS漢字TALK時代)より安定するようになってきて・・・。
その頃作っていたスキン「DeltSeven」という透明な石の調子デザイン、XPでも使われ始めMacOSXの「透明石ボタン」全盛の時代に突入していきましたっけ。
その後、XPはVistaやme、7/8と経て、Windows10へ、MacOSXは数々のバグを乗り越えてMacOS SierraiOSへ、どんどんと変わっていきましたよね。企業のセキュリティ対策も強化され見直され、会社に自分のPCは繋げられなくなり、データの持ち帰りやUSBによる持ち込みにもNOのサインが突きつけられるようになりました。
その流れとともに、アプリの見直しや開発体制の見直しも迫られつつ、労働環境まで政府が厳しく通達するようになってきました。


・・・何が言いたいかのというと、気がつくと、パソコンがいらない時代になっちゃいましたね。
20年前は、パソコンてすげぇ、色んなことができるよ、世界変わるよ!ってワクワクしててのーとPCすげぇよ、こんなに軽くて色んなこと出来るよ、っていう時代全盛から20年でパソコンがいらない世界になるなんて、思いもしなかったというか。
昔に、こんなザウルス欲しいよ、っていう絵を描いて20年しないうちに、そんなの古臭い、みたいになるまでこんな短い間にそうなってしまうとは思いもしませんでした。

これから時代は何か。
そのために必要なこと、それは「知識」をどう取得し、「何の知識」を取得するか。
これが重要な意味を持つ時代に入ってしまったようです。

今は「ググれば」なんでもわかる時代。逆にいうとつまらんことに記憶領域を使う必要がない時代です。
自分の頭の中の記憶容量が10TBくらいが限界だとすれば、その10TBに何を残すか。これを意識しないと流されて終わってしまう時代になりそうです。
振り回されるのはごめん。荒波の中に放り出されて、目的地もわからず転覆しそうになりながらも岸についた、でもその先は・・・
みたいな展開だけにはなりたくありません。
荒波をコケながらもサーフィンし、せめて見える向こう岸の良さそうな場所にたどり着きたいです。

だからこそ、何が必要なのか。

海の話が出たので、同じように考えてみましょう。荒波の中、向こう岸を見据えるには何が必要か。
「不安定ながらも起立し少しでも高い視点を確保できる環境」が真っ先に必要ですよね。
その環境は「一枚の板」から成り立っていますね。
「できるだけ晴れた視界を遠くまで見える目で」捉える必要がありますね。
もちろん、そこに行くまでの「体力」と「勘」も必要です。
その方向に向かうには「梶」も必要ですよね。

「板(基盤)」「視界・眼」「体力」「勘」「方向に押し出す梶」、これらを手にすれば自らの意思でたどり着きたい岸に着くことはできそうですよね。
デジタル世界のこれら5つってなんでしょうかね。

私が思うに基盤は「文字」だと思っています。どんなに時が流れても文字は当面消えなく、デジタルの世界の中心にいて、自分を起立させることができる唯一無二の存在じゃないかと思います。
方向に押し出す梶は、その文字を発信するかしないか、こう考えます。流されるか自分の意思で漕ぐか、その違いは発信と似ています。

じゃぁ、あとは目と体力と勘ですが・・・
体力は続けること。眼は自分の定めた方向性。

何を言いたいかと言いいますと、ようはですね、最終的に「辞めない人が向こう岸へ」着けるのではないかと思うのです。

なんとか思考だの、フレームワークだの、流行りだのそうでなかろうの、形にハマろうがハマらなかろうが、その文体が拙かろうが分かりやすかろうがなんでもいいだと思います。

辞めないこと。続けること。
何年かおきに一度でもいい。

見えにくい岸に向かっていって自分の思うことを発信し続け、信じて突き進んだ人は、飲まれずに大局的に物事を見ることができ、次の20年先まで意思を持って歩めるのではないかと思います。

そんな気持ちがあるので、駄文が続くかもしれませんが、ボヤキ続けると思います。
今は、過去の変動のPC世界の15年を封印し、変動のカメラ世界の15年を追っています。カメラ世界も5年が経ちました。
ちょうどXPが出たあたりです。カメラ世界はこれから複眼のスマフォと老舗の一眼の戦いが始まります。
成熟しきったが、手間暇育てて衣を剥がせぬ一眼の世界 V.S. 奇抜な改変のデジタル処理。

音楽もピアノ作曲からデジタル音の重ね技で変革し、印刷も一枚一枚フィルム重ねて版を作る処理からデジタルパブリッシュでプリンターみたいに間のフィルムが無くなっちゃいました。
年賀状だって一枚一枚プリントごっこしてたのが、今やLINEに代わり紙を使わなくなり始めています。
ビデオもそう。スマフォで撮ったそのままがYoutubeにアップされTVより効果が高くなり始めています。

得てして手間暇かかるもの、めんどくさいもの、工程数が多いものはデジタルに取って代わられます。
1つ1つ職人の手で作り上げるのは素晴らしいけど、それは時代のニーズに合っていないのです。

あと、今現在で手間が多いのなんですか。

車のナビもそうですね。他は?
料理もそうですね。他は?
病院の手続きもそうですね。会計は既に自動化されつつありますよね。
似たようなのにスーパーのレジ打ち会計もそうですが、半自動化進んでますよね。他は?
本を探す行為?そうですね、既にamazonに代わってきていますよね。他は?

今、世の中では、この「他は?」探しに躍起になっています。
これがビジネスチャンスだからです。
結果私たちの世の中は便利に楽になっていきます。

気がつかないと、あなたのやっている仕事量はゼロになります。
ゼロになっっとき、応用が効かなければ、無用となります。

荒波で立つことすらできなくならないよう、やはり、視界を高く保つべきです。
頑張るという言葉は嫌いです。
何をどうするのかが明確でない。

でも、不特定多数へのメッセージなら使えそうです。
お互いの明日のために頑張りましょう。