Log#37: iPhoneの欠点は徐々に無くなる。そして秋葉原はガラクタ街へ

えぇ、本日、あれをゲットしちゃいました。

・・・今後、iPhoneのプラスチック型のハードケースはみんなこんな風になるんじゃないでしょうか。

→ Griffin Clarifi Case For iPhone 3G マクロレンズ付き

このハードケースの特徴はカメラの部分にスライドでマクロをセットできるところです。

iPhoneのカメラは200万画素というちょっと画素数が少ないやつなのですが、色のバランスの取り方とかは結構いい。暗い部分にノイズが入るのはしょうが無いと割り切れればTV等で見てるかぎりは結構いけてる。
普通にサービス版ぐらいまでの印刷も、まぁ、2Mだし多少はしかたない、割り切れればそれなりに使える。
でも、せめて、マクロ(接写)さえできればなぁー、と思うときが良くある。
でも、そのために、っても、変に挟み込むダサダサのオプションを持ち歩くのも嫌。でも他に手段が無い、って嘆いた私のようなアナタ、これ、朗報です。
このケースにマクロレンズが付いていてしかも必要なときに簡単にON/OFFってできるわけ。

これは、もう、今後のiPhoneのケースの主流になっちゃうんじゃないでしょうか?無茶苦茶良すぎ。実装もスマート。いいねぇ。
肝心のマクロは、だいたい12〜14cmぐらいまで寄れる感じです。無理すれば10cmいっても撮れないことは無い。

で、ありとなしを比べた写真、PCで開いてみてキャプチャしたのが下の写真のこんな感じ。細かいのはどっかでレポしてくるでしょう。はてなのblogが勝手にリサイズしちゃうかもだから、うちは適当でいいよね。

まぁ、簡単に言うとGIFやJPEGのインタレースぼんやり表示とくっきり表示の違いみたいな感じかな?(^^;?
一見、あんまり変らない?と思うけど、文字等を接写すると、やっぱり、違うな、と判る感じのレベル。


で、QRコード関連については、無料の barcode(赤いアイコン)アプリで大きさと認識位置を補正すれば3cmぐらいのQRコードも認識OKです。
正直、マクロは5cmぐらいまで寄れれば一番最高なんですけど、付属のレンズでそこまでは無理。花にとまっている蜂などの接写にはきついかもしれません。バスなどの時刻表をさくっと取るのは、ものによってはOKかもしれません、ぐらいの感じです。

これは1つの道筋です。応用で他に3段階ぐらいのレンズや黒以外のカラーバリエーションがでればバッチリです。早く出してください(笑)

でも、日本語が快適になり、絵文字が追加され、ワンセグが多少汚いにせよ見られるようになり、ケースによるマクロ撮影が対応になり、毎日のように楽しいアプリもでてくる。
カメラ機能は画素数こそ弱いけれど、TiltShiftみたいにミニチュア撮影加工ができたり、セピア色やモノクロ撮影できるアプリができたりDarkRoomみたいに手ぶれ中は撮影できないアプリ(=手ぶれ防止写真が撮れる)等、足りないものは周りで補う、という、あのMacユーザーの思想がそこにあるのは嬉しい限り。

もう、iPhoneに決定的に足りないのは「コピペ」と「現状を維持しつつ違うアプリに行って戻ってこれること」だけかなぁ。
コピペの価値そのものが違うアプリへの文字貼付でもあるので、セットで解決してくれると信じています。そのうち。

・・・やっぱりアプリでどんどん進化していくのは本当にうれしい。しかも世界展開する商品だからこそ、世界のアイデアで世界の商品が増え、それを更に改良発展するオプションが登場し、iPhoneをさらに魅力的にしていく。
これは今までの日本の携帯に一番足りなかったもの。

次のモデルを買わないと新機能が使えなかったりするくせに、次のモデルでは前に買ったお気に入りのカバーや天板が使えなくなってしまうような無駄な買い物をさせる商品にユーザーはどんなに嫌な思いをしてきたか。
結局最終的なエコは長く同じものを使いつづけることなのだ、ということにあらためて気がつかされる。


ところで、この休日に、久しぶりに秋葉原いってきた。しかし、愕然とした。
あの街、もうすぐガラクタだらけの街になってしまうんじゃないだろうか。

あまりにも早すぎる製品の展開やリプレースにおいつかず、中古商品や新古商品で溢れかえっている感じがする。
いや、これが今の日本か。
自分もたくさん消費してたくさんゴミを増やしてきた人間なので、偉そうなことは言えない。
でも、今まで購入してきた多くの電子グッズ、全部といっていいほど、手元でずっと使い続けられたものが無い。
本当に、ガラクタになるのをたくさん見てきた。

それでも、前は欲しい人にあげたりとか色々やってきたけど、ここ2〜3年は進化のペースが早くて周りも欲しがらない。

日本の俺たちがやってきたことは、商品の性能を飛躍的に押し上げたかわりに、ガラクタをたくさん生んだことだ、っていうことに
そして、そのガラクタで溢れかえってしまった秋葉原という街を見て、自分はもっと買うものを抑えていかなければならない、と感じた。

そのガラクタ同然の価値観しかない中古PCや部品取りのパーツ群。サイズに魅力の無くなったモニタや必要とされないCD-ROMドライブやMOドライブ達。ノート製品の多くはバッテリの問題で再購入することは希。
有名どころでないメーカーのPCなんて、掃き捨てたような価格でも見向きもされない。

それらが溢れかえっている秋葉原を見たとき、アジアの各地に広がる貧富の差で街が食べカスのゴミで散らかっている国々と何が違うのだろうか、とさえ感じた。
・・・これからは、できるだけ同じものを使い続け、長く使いたい。それが、あのガラクタのような第2の街を作らないための一歩だ、心の中で痛みを、気持ちを噛み締めた。
でも、良いものが出ると欲しくなっちゃうんだろうな、やっぱり。うーん・・・。